2017/10/13発行 ジャピオン937号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。高架廃線跡公園ハイラインの散策は北へと続く。今週は、ちょっと寄り道して眼下の画廊街をのぞいてみよう。

ハイライン❻

 ハイラインは、17から27ストリートまでの区間にチェルシーのギャラリー街の脇を通過する。500以上もの画廊や美術関係の事務所が集中するこの地区は、アートシーンの中心。試しに26ストリート出口で降りて、「下界」を歩いてみる。

素っ気ないアートの街

 銀座やパリのようなオシャレな画廊街を想像したが、ここは色彩のないビル群が素っ気なく建つのみ。聞けば、ギャラリーの多くが元倉庫や元工場などを改装したビルに雑居しているとか。時折、通りに面した天井の高いスペースに奇抜な造形がのぞけるが、総ガラスの大扉は重く、入るのに戸惑う。このエリアに画廊が移ってきたのは1990年代の半ば。歴史をさかのぼるとアート地区は、遊牧民のようにマンハッタン中を移動している。

 そもそも、ニューヨークに画廊ができたのは、19世紀の初めで、エリアは市庁舎のそばだった。同世紀半ばになると画廊街は、当時の文化の中心、マディソンスクエア・パーク周辺に移動。その後、アッパーイーストサイドに美術館ができて、周囲が高級住宅街となると画廊も移転した。1929年の世界大恐慌からしばらくは低迷期が続くが、戦後、60年代に入るとアメリカの現代美術の活性化で画廊も急増。特に、家賃が安かったソーホーに集中した。

 ウォーホル、リキテンシュタインといったポップアートのスーパースターが続々登場。アートで成功すると、大金持ちになれる時代が到来した。だが、80年代後半には景気の浮揚に並行して不動産も高騰。ソーホーは世界の一等地に格上げされ、アートは活動の場を追われる。

アート以前のチェルシー

 そんな時、受け皿になったのが、他ならぬチェルシーだったのだ。当時は、ビスケット工場を筆頭に食品業や製造業がこのエリアを見限っており、中古ビルは軒並み貸し倉庫や板金工場、印刷工場などに変わっていた。治安悪化も著しく、週に一度は駐車場に死体が転がった。日が暮れると閑散となり、売春婦たちが高架廃線の下で商売に励むといったありさま。

 ギャラリーが続々移ってきた頃から少しずつ街がきれいになってきたが、それでも当初は「交通の便が悪い」と一般客はほとんど足を運ばなかった。ところが、2009年のハイライン開園でガラリと変わった。世界中から観光客が押し寄せ、チェルシーの名が、アートの名所として確立したのだ。05年以来、この地区で日本人アーティストの作品を紹介している画廊経営者大西ななさんも「ハイラインで急激に観光客は増え、アートへの関心も高まっています」と語る。

 次回は、解体撤去すら検討さたハイラインを死守して蘇生させた人たちについて書く。(中村英雄)

ハイライン自体も野外ミュージアムに。写真は期間限定で展示されているフランス人彫刻家の作品
チェルシーの画廊街を通過するハイライン。この辺りはかつては荒んだ街だった
ハイライン効果で活気があるチェルシーの画廊(協力 Onishi Gallery)

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