Peaceful Resonance 響き合う魂、争わない心

Peaceful Resonance- 響き合う魂、争わない心

初めまして、私はHALという沖縄出身のユタです。ユタとは琉球王朝時代から続くシャーマンで、沖縄では民間の相談事や霊的な相談を受けるアドバイザーです。具体的に言えば、青森県のイタコのように死者との交信や先祖、土地に関わる霊的な相談といった呪術的な事だけにとどまらず、占いのように運勢の吉凶を判断したり、病気治療や命名、進学、結婚問題など家庭内の諸問題と広範囲にわたって相談も受けたりします。私はユタの家系に生まれ、幼い頃から知られた存在で、たくさんの皆様のご相談に乗ってきました。24歳から本格的なユタ活動を始めて、地元の沖縄県で1年間に1万人、10年で10万人の方々のお手伝いをさせていただきました。そして38歳の時に天命を受け、活動の拠点を東京に移して現在は東京を中心にヒーラー、カウンセラーとして活動させていただいています。

さて、そんな私がご縁をいただき、NYジャピオンで連載をさせていただくことになりました。勿論、連載となると沖縄人の私がニューヨークに関連する情報を発信する理由がないと、この紙面で書く理由がありません。今回は第1回目という事で、本紙で連載をする理由とそのきっかけのお話をしながら、私の活動や考えをお話しさせていただこうと思います。

ニューヨークでの出会い

私は2017年に東京の次の新たな拠点を探すため、ニューヨークを訪れました。ニューヨークを選んだのは、勿論世界の金融の中心であり、世界中からエネルギーが集まる場所というのもありますが、同時にここは多くの人種が活動する場所で、沖縄というマイノリティーの場所から来た私も受け入れてくれて、新たな可能性を見出せるような気がしたからです。

最初は沖縄出身ということでニューヨークの沖縄県人会を頼りにマンハッタン区を訪れたのですが、県人会の方のご紹介で、元・伊藤忠商事ニューヨーク支社長の等々力氏と出会いました。等々力氏との出会いは今も忘れられません。ニューヨークの8アベニューを雪駄に甚平で歩き、頭はスキンヘッドという異色すぎる風貌で私の前に現れました。これは只者ではないと感じていましたが、話してみると非常に優しく親切な人で、そのギャップにやられて、すぐに等々力氏のファンになりました。

私が平和を語れる使者に?

その頃、等々力氏はジャパンフェスの運営を行っていて、彼の誘いで私もアッパーイースト地区やタイムズスクエアのジャパンフェスに参加しました。等々力氏は伊藤忠だけでなく、ニューヨークのオンワード樫山の社長も歴任したビジネスマンで、日本とニューヨークの橋渡しになることを夢見ていました。それで、ジャパンフェスを通して日本の良さを伝えることを使命に感じていました。

彼は私が沖縄県出身であることに注目していて、「米国と沖縄と日本本土をつなぐパイオニアにならないか?」と提案していただきました。私は1968年の沖縄に生まれています。その当時の沖縄は復帰前で米国領でした。つまりカリフォルニア州OKINAWAです。4歳まで米ドルで生活をしていましたし、私の生まれたKOZA(沖縄市)は基地の街で、道を挟んで白人街と黒人街があり、私は黒人街で育ったのです。「君は復帰前の沖縄に生まれ、こうしてニューヨークに来てしっかりビジネスもやっている。多くの米国人が持つ日本人に対する誤解した先入観や、沖縄の平和思想なども伝えられるのではないか? 今のような争いの世に、平和を語れる使者になれるのでは? また君のドキュメンタリー映画を撮ってニューヨーク映画祭に出品し、君の考えや沖縄の真実を、君の半生と共に届けたい」と提案していただきました。

「非戦」への思い

確かに沖縄県ほど複雑に外交関係に振り回された場所はないと思います。15世紀は清国(中国)の続国として統治され、江戸時代末期には島津藩に併合され、第二次世界大戦後は米国になり、その後日本の本土に復帰している。特に太平洋戦争で三人に一人の県民が犠牲になり、今でも米国の基地が駐留する沖縄県は、外部から見たら間違いなく日本本土や米国の犠牲になった島と見られても仕方ありません。しかし県民の意識は米国に関する反感は正直ありません。勿論、中国にも台湾にも朝鮮半島にもありません。それは私たち沖縄県民の思想に「非戦」という考え方がしっかりとあるからだと思います。「争うよりも過去の痛みは忘れて、前に進みましょう。戦争は憎いけど人は憎んじゃいけない」これは沖縄県民が誰しも思っている哲学です。

私は、等々力氏の考えに賛同して、この「非戦」という考え方をドキュメントにして、沖縄とニューヨークを撮影して映画を撮ろうと思いました。「平和は反戦ではなく非戦から始まる」のだと。

 


HAL
⾳楽家/著述家

1968年10⽉18⽇生まれ。沖縄県出身。琉球王朝時代から続く正統なユタで、その特異な能⼒により年間で1万⼈以上のカウンセリングを⾏う沖縄では伝説のユタである。2005年から拠点を神奈川県に移した後も、その優れた能⼒のカウンセリングを求め、全国各地から多くの⼈々が訪れた。琉球シャーマンはメッセージを⾳楽で届けており、HALは、これまで20万⼈以上のお悩みに寄り添い、癒し、アドバイスした経験を歌に変えてメッセージ(⾳楽、講演)活動を⾏なってきた。09年に神奈川県から東京都に拠点を移してからは、ソニー・ミュージック・アソシエイテッド・レコーズよりメジャーデビューを果たし、年間90本近いライブ活動や講演会を⾏なっている。17年からは海外での演奏活動も始め、台湾やニューヨークでも活発にライブ活動を⾏なっている。18年から米ツアー(ノースカロライナ、ニュージャージー、アイオワ、ニューヨーク)も⾏い、各地のメディアでも⼤きく取り上げられた。テレビ番組や雑誌などの活動も幅広く⾏なっており、過去には『サンデージャポン(TBS)』、『HEY!HEY!HEY!(CX)』、『ロンドンハーツ(テレビ朝⽇)』などにも不定期で出演した。HALの作る楽曲は「スピリチュアルミュージック」であり、流⾏にとらわれず現代⼈の⼼を癒す、まさに現代の「流歌」として知られている。また、スピリチュアルアーティストとして、⾳楽のみならず、書籍の出版、絵画、写真など幅広い活動を行う。

琉球ユタとは
琉球(沖縄)信仰において、琉球王国が制定したシャーマンである。公的な神事、祭事を司り、⼀般⼈を相⼿に霊的アドバイスを⾏う事を⽣業とする。アドバイスを⾏うときに「流歌」を歌い、メッセージを伝える。

               

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