NYを食べる

NYを食べる Vol.3ーNYフレンチの巨匠 ジャン・ジョルジュ

ニューヨークで食べ歩くことは、単なるレストラン巡りではない。年間100軒以上の店を訪れる中で出会うのは、味よりもむしろ、人、背景、コミュニティー、そして価値観の衝突と更新。ニューヨークという「濁流」に身を投じることで見えてくる“食から始まる都市理解”を人間模様と共に立体的に紐解いていく連載。


巨大帝国と50年の航海、そして「日々を更新し続ける」という幸福

 

ニューヨーク、コロンバスサークル
ミシュラン二つ星を掲げ、世界に40店舗以上、ニューヨークに約15店舗を展開する食の帝国を築いたフレンチの巨匠、Jean-Georges Vongerichten(ジャン・ジョルジュ・ヴォンゲリヒテン、以下、JG)。50年以上にわたり世界の料理界を牽引し、今やレストランの枠を超え、ライフスタイルそのものをプロデュースする存在となった。その歩みには、単なる料理技術を超えた「進化の哲学」がある。

ニューヨークの、晴れやかで少し肌寒い春の日。荘厳で美しい空間「Four Twenty Five」で向かい合ったJGは、圧倒的な経験を積み重ねてきた人物とは思えないほど、柔らかく、少年のように純朴な笑顔を湛えていた。その奥には、数えきれないオープンと挑戦、そして失敗と再生の歴史がある。しかし彼はそれを誇示することなく、むしろ軽やかに笑い、一人の日本人の問いに対して、誠実に、そして真っ直ぐに応えようとしてくれている。

隣には30年以上JGを支え続ける右腕であるDaniel Del Vecchio(ダニエル・デル・ヴェッキオ)。
かつてJGのアジア×フレンチのレストラン「Vong」で出会い、JGの哲学に惹かれた彼もまた、元料理人だ。次々と入る会議をこなしながら、片耳で議論に参加し、印象的なエピソードや必要なビジュアルを即座に差し出しながら、JGの思考を鮮やかに「翻訳」していく。その姿から、この帝国が強固な「チーム」で動いていることが克明に伝わってくる。

 

Four Twenty Fiveにてインタビューの一幕(左:小柳津、右:JG)

 

原点は、大家族の食卓と「時間を守る」規律
JGの物語は、フランス・アルザス地方から始まる。炭鉱・エネルギー事業を営む実家。祖母と母は毎日、社員30〜35人のために食事を用意していた。そこには一つの厳格なルールがあった。「時間を守ること」。
「祖母と母は偉大だ」と彼は語る。大人数で囲む食卓、決まった時間に全員が集まり、同じ食事を分かち合う。その原体験が、彼の料理に宿る「親しみやすさ」と「人を自然に引き寄せる」力の源となっている。

アルザスは歴史的にドイツの支配が入れ替わった土地だ。食文化もドイツの影響を強く受け、じゃがいも、キャベツ、豚肉が中心。家業もまた、時代の要請に合わせて炭鉱から石油、ガス、そして再生可能エネルギーへと変化していった。
この「環境に適応する力」は、幼少期の彼に自然と刻み込まれた生存本能に近いものかもしれない。

 

 

エンジニア学校から「科学」としての料理へ
長男であるJGは、家業を継ぐためにエンジニア学校へ送られた。「実はエンジニア学校に行っていたんだよ。行きたくもなかったのにね」と語る彼の言葉に、思わず笑みがこぼれる。転機は16歳。家族に連れて行かれた三つ星レストランで、彼は初めて「食で生きる」という世界を知る。それまでの家庭の大皿料理とはまったく異なる、空間、所作、サービス、すべてが一体となった世界だった。二ヶ月後、彼は厨房に立っていた。

しかもキャリアのスタートは、皿洗いではなく「パティシエ」だった。「料理は感覚だが、製菓は科学だ」。計量、時間、正確性。この徹底した規律こそが、後の巨大なキッチンオペレーションを支える鉄の基盤となる。実際、彼の厨房は驚くほど静謐で、整然としている。

両親とJG 提供:Jean-Georges

 

「料理=土地」というZip Code Philosophy
彼はその後、南仏へ移る。アルザスの食文化から、オリーブオイル、ガーリック、ハーブが踊る世界へ。そこからリヨン、ドイツ、バンコク、シンガポール、香港、大阪、そしてニューヨークへと、彼の航海は続く。この移動の中で、彼は一つの真理に到達する。「料理は土地そのものだ(adapt to where you are)」と。

この思想は、後に彼の経営哲学「Zip Code Philosophy(郵便番号ごとの最適化)」へと昇華した。同じブランドを横展開するのではない。その場所に住む人々、価格帯、用途、文化を読み取り、最適解を導き出す。世界に40店舗ありながら、一つとして同じ店がない理由がここにある。

彼は今も地元の食材を愛し、長年関係を築いてきた生産者を大切にし、今日もユニオンスクエアのマーケットに足を運ぶ。

 

 

伝統を捨てる勇気 ― バンコクでの再発明
JGの代名詞である「軽やかさ」は、23歳のバンコクで生まれた。そこにはバターもクリームもなかった。フランスで学んだ「正解」が通用しない、「重さ」が受け入れられない環境だった。彼は背中を押される。「フランスでは誰も君の失敗に気づかない。やってみろ」。

 

彼は挑戦した。フォアグラにマンゴーを合わせ、野菜のブロスやビネガーで味を再設計する。それはフレンチの否定ではなく、環境への適応による「再発明」だった。伝統への執着ではなく、状況に対する驚くほどの柔軟さだった。

 

舞台はニューヨークに移る。当時、景気が低迷していた時代。ビジネスパーソンにとって、かつての長く重いフレンチはもはや求められていなかった。ここで彼の環境に適応する力、そしてアジアでの経験が活きた。「重すぎないビジネスランチ」として、彼の料理は熱狂的に受け入れられることになる。フレンチの伝統をその土地と時代のリズムに合わせて適応させ、独自のスタイルへと昇華させた瞬間だった。

Jean-Georges レストラン 提供:Jean-Georges

 

レストランは「ショー」、チームは「キャスト」
「一番ワクワクする瞬間は?」との問いに、彼は即答した。「オープンの時だ」。準備してきたすべてが形になり、ゲストがまだ見ぬ味や未知の体験に出会い、「発見」する瞬間。まさにエモーショナルな瞬間だ。そこに人がいるからこそ、感情が生まれる。

「レストランは映画と同じだ。キャストがすべてだ」。シェフ、サービス、バーテンダー。それぞれに求められるのは、カリスマ性と個性だ。一人ひとりを見極め、キャスティングし、その魅力を最大化させる。空間の光一つ、食器一つまで、人を喜ばせるための「ショー」として緻密に演出されている。
それが形になったとき、彼は「今を生きている」と実感するという。

 

都市を再生するという意志、人生をデザインする拡張
パンデミックで人が消えたミッドタウン。それでも彼は出店を決めた。ミッドタウンのルネッサンスを信じ、その象徴として「Four Twenty Five」を立ち上げた。さらにニューヨークのナイトライフを取り戻すべく、テイラー・スウィフトら世界の才能が集う会員制クラブ「Chez Margaux」の開業へと続く。

いまや彼の仕事は、マイアミの高級コンドミニアムにおいて、キッチンウェアの選定から、冷蔵庫の中身のプロデュースにまで及んでいる。料理人の役割は、今や「人生の質をデザインすること」へと拡張しているのだ。

Four Twenty Five店内 提供:Jean-Georges

 

「昼がダメなら夜に直せばいい」
最も魂を揺さぶられたのは、彼の「幸福」の捉え方だった。「毎日がハッピーだよ。常に改善できるから」。昼のサービスがうまくいかなくても、夜に直せばいい。それだけだという。
一つひとつの結果に一喜一憂するのではなく、失敗さえも「次をより良くするための材料」に変えていく。その積み重ねと前進そのものが、彼の幸福なのだ。

「Nothing is in stone(決まりきったことなんて何もない)」。50年トップを走り続けてきた男の本質は、鋼のような意志ではなく、この柳のような「柔軟さ」と、歩みを止めない「改善の継続」にあった。

 

人を幸せにするという使命
16歳のあの日、三つ星レストランの扉を開けた少年の好奇心に満ちた目は、今も変わっていない。彼は今日もキッチンに立ち、チームとともに、より良い体験をつくり続ける。

「人を幸せにすることが、私の使命だ」。

インタビューを終え店を出たとき、見慣れたパークアベニューの景色は、来る前よりも少し鮮やかに、そして明るく見えた。

 

Jean-Georges Vongerichten(ジャン・ジョルジュ・ヴォンゲリヒテン)

フランス出身の世界的シェフ。若くしてアジアや世界各国で経験を積み1980年代にニューヨークへ渡り、フレンチにアジアのエッセンスを取り入れた独自の料理で世界的評価を確立。グループ全体で合計4つのミシュラン星を獲得、2014年に日本でも「Jean-Georges Tokyo」をオープン。世界各地でレストランを展開する実業家としても成功している。

提供:Jean-Georges


 

小柳津 晨平 (おやいづ しんぺい / Shimpei Oyaizu)

ニューヨークの話題の星付きレストランからストリートフードまで、年間100軒以上を訪れる。食体験を、歴史・文化・人が交差する「人生の探求」と捉える。味覚にとどまらず、想像を超えて価値観が更新される瞬間を追い続ける。
               

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