駐妻B・カナコ

前回に続きまた政治的な話、とりわけ移民に関わる内容になる。トランプ大統領就任後、ニュースでも身の周りでも、そして頭の中でも、この話題は絶えない。
なかでも大きな衝撃は、1月下旬、国土安全保障省がベネズエラに対し一時保護資格の延長を認めない決定を発表したことから始まった。ベネズエラからの移民には、祖国の政情不安や迫害から逃れて米国に住む人びとも多くいる。
くわえて、米国政権は一部のベネズエラ系移民を無秩序に特定のギャングと結びつけて、「敵」とみなした。その結果、犯罪歴がない例を多く含めた約250人が、エルサルバドルの「最恐」と呼ばれる刑務所に送致される事態に発展。連邦判事はこの横暴に一時停止を命じたものの、事実上無視されてしまった。
滞在資格や労働許可を失う不安、さらには異国の刑務所にまで送られるという現実──それを背負った人びとやその家族の困難を思うと、胸が痛む。実際にそこには一人ひとりの人生があるのだから。
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“They Called Us Enemy”
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3月には、これに対し、ロサンゼルスにある全米日系人博物館が声明を発表した。読んでみると、政府の「敵性外国人法(Alien Enemies Act)」適用と、それに基づくベネズエラ系移民の国外退去を非難する内容だ。同法は、第二次世界大戦中にドイツ・イタリア・日本からの移民を逮捕・拘留する根拠となったものである。これが、のちの大統領令9066号につながり、西海岸を中心に12万人以上の在米日系人の長期強制収容を可能にしたことも説く。
ふと、以前読んだ、俳優のジョージ・タケイが幼少期の強制収容所生活を回顧したグラフィックメモワールのタイトル、”They Called Us Enemy”(日本語版は『〈敵〉と呼ばれても』)を思い出した。米国生まれの日系2世であるタケイは、今でこそ俳優としての活躍で知られるとはいえ、以前は「敵性外国人法」のもと「敵」とみなされたのだ。
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「敵性外国人法」とは
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「敵性外国人法」──なんともおどろおどろしい響きを持つ。正当な手続きを経ずに、特定の人びとを拘束・追放する政府権限を認めるものだ。制定を1798年に遡るこの法律は、米英戦争、第一次・第二次世界大戦と、過去に3回適用された歴史を持つ。つまり戦時的権限であり、米国が他国と戦争状態に陥ったり、侵略の脅威にさらされていると判断された場合に限定される。
戦時中であっても、同法が一般の人びとの人生を狂わせるのは誤りであるが、今まさに大統領がこの法を適用している異様さも、私たちは知る必要がある。
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経験したからこそ、生まれる連帯
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同時に、日本にルーツを持つ者として、全米日系人博物館が声を上げたことには強く励まされた。過去に似た経験をした集合体による、繰り返される愚行の非難は、大きな意義を持つ。背景や属性が異なる集合体であっても、移民である限りは、「敵」として排斥の対象になりうる点で共通する──そのリマインダーとしても響く。
さらに、日系人強制収容は1980年代に米国政府から謝罪と賠償を受けている。その歴史に立脚する声には、責任と重みが宿る。
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それでも問い続ける
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悲惨な出来事の速報に心を奪われている間に、歴史が繰り返される瞬間が静かに通り過ぎていくような感覚を抱く。すると、「歴史は繰り返す」という文言をまるで禍不可避のように受け止めてしまう可能性がある──おそらく警鐘の機能を持つものであるにもかかわらず。そしてこれは自然発生する禍(わざわい)ではなく、人によって起こされているにもかかわらず。
「歴史は繰り返す」──これは誰の歴史で、誰が止めうるのか。それに簡単には答えられない。しかしその問いは、特定の誰かではなく、そこに立ち会っているすべての人びとに開かれている。せめて、この繰り返される構造のどこに自分が立っているのか、立たされているのかは見失わずにいたい。
COOKIEHEAD
東京出身、2013年よりニューヨーク在住。ファッション業界で働くかたわら、市井のひととして、「木を見て森を見ず」になりがちなことを考え、文章を綴る。ブルックリンの自宅にて保護猫の隣で本を読む時間が、もっとも幸せ。
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