レトロ作品 まったりレビュー

今週の1本 The Life of Chuck (邦題:ライフ・オブ・チャック)

映画監督・鈴木やすさんが、映画好きにもそうでない人にも観てほしいおすすめ新作映画作品をご紹介します。


NHK制作の『ドキュメント72時間』という番組が好きだ。一つの場所にカメラを置いてそこに訪れる人間模様を72時間記録しつづけるというシンプルな番組だが、人それぞれ人生一つずつに興味深い歴史や事情があり、世の中に普通の人生などないのだと改めて感慨を深くする。あるエピソードでは東京の街中の静かな環境で一心に集中して写経に没頭できるお寺にカメラを据えていて、ある男性は「なぜここにいらっしゃるのですか?」という質問にこう答えた。「私は東京都内で駅員として働いています。私の仕事は毎日が判で押したような同じ作業の繰り返しで、慣れ切ってしまうと注意力が散漫になって利用者の危険につながってしまうので、写経に没頭することで集中力を養って仕事に慣れきってしまわないように休みの日はここに来ています」。それを見て僕は人生の成功ってなんだろうと考えた。僕も含めて多くの人たちは人生の成功を追い求める。それは人によって富であったり名声であったりする。しかしこの駅員さんのように社会の中で自分に与えられた役割を仕事の大小に関わらず強い職業倫理と常に技術の高みを目指す向上心で向き合う時、それは成功した人生と言えるのではないか。また僕はある年の数カ月間、毎週末ペンシルベニア州の農場にバスで出かけて土を耕して収穫するまでの畑仕事を経験したことがある。農薬は一切使わないので真夏の盛りには自然に茂る雑草を手作業で一日中引き抜く。お昼には自分で作ったお弁当を仲間と食べて、午後も仲間と冗談を言いながら作業を続けた。そして山々に夕日が落ち始めて空が赤く染まる時、作業の手を止めて山から吹き降りる気持ちのよい風を体で受けながら綺麗になった畑を静かに眺める。その時に感じた静謐で力強く爽やかな充実感は今でもこの胸に焼きついている。人生の成功とは? 充実した人生とは? 人の仕事とは? そんな大切な問いを今回紹介する映画は私たちに語りかける。

システムの目的

この映画のあらすじを書くのはあまり意味がない。米国の経理士の人生を描いているのだが、そこは『シャイニング』や『キャリー』などのホラー小説の第一人者、スティーブン・キングの原作なので市井の会計士の人生をミステリアスで哲学的そして感動的に描いている。注目してほしいのは子供時代に両親を事故で亡くした主人公チャックを育てる祖父母を演じているマーク・ハミルとミア・サラの二人だ。マーク・ハミルは『スターウォーズ』の主人公ルーク・スカイウォーカーとして僕の世代では知らない人はいない。ミア・サラは80年代青春映画の最高傑作『フェリスはある朝突然に』でフェリスの恋人スローンを演じて僕たち世代の男子を夢中にさせた。二人に共通するのは若き日の注目の後、40年近くハリウッド映画で目立った活動をしておらず、今回の映画で白髪の祖父母を演じて本当に素晴らしい演技で復活を見せてくれている。世の中に普通の人生などない。しかしあるIT経営者は「初期レベルの知的労働は全てAIに置き換えることができる」と豪語する。AIの未来は希望を持てる反面、効率性、収益率だけを追い求めて多くの労働者を失職させる、人間性の哲学を持たないテックオリガルヒたちに未来の形を任せて本当にいいのか? システムの目的は人間の幸せであるべきで、人間はシステムの効率性の手段ではない。この映画のような人間性を追求するストーリーテリングや芸術が今こそ求められている。

 

今週の1本

 The Life of Chuck (邦題:ライフ・オブ・チャック)

監督:マイク・フラナガン
原作:スティーブン・キング『ライフ・オブ・チャック』
音楽:ザ・ニュートン・ブラザーズ
主演:トム・ヒドルトン、マーク・ハミル、ミア・サラ

「全ての人生にはそれぞれの宇宙がある」

(予告はこちらから

 

鈴木やす

映画監督、俳優。1991年来米。ダンサーとして活動後、「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」設立。短編映画「Radius Squared Times Heart」(2009年)で、マンハッタン映画祭の最優秀コメディー短編賞を受賞。短編映画「The Apologizers」(19年)は、クイーンズ国際映画祭の最優秀短編脚本賞を受賞。俳優としての出演作に、ドラマ「Daredevil」(15〜18年)、「The Blacklist」(13年〜)、映画「プッチーニ・フォー・ビギナーズ」(08年)など。現在は初の長編監督作品「The Apologizers」に向けて準備中。facebook.com/theapologizers

 

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