1月生まれ クリ
野球の本場・米国で活躍する日本人メジャーリーガー。取材現場で感じた選手の“今”の思いや状況を深掘りするコラム。
メジャーリーグでプレーする日本選手の中では、決して注目度は高いわけではない。しかし、マイナーで開幕を迎え、ケガがあり、復帰あり、メジャー昇格あり、マイナー降格あり、そしてメジャー再昇格。ナショナルズの小笠原慎之介投手(27)だ。9月19日の金曜日から3日間、ナショナルズはニューヨーク遠征。メッツとの3連戦に2勝1敗で勝ち越した。
「すみません、3日間もきていただいて」
小笠原は21日の日曜日、デーゲーム前の練習に向かう前、フィールドで待ち受けた私に向かって、頭をペコリと下げながら、リリーフ投手陣の練習に向かった。日本では、球団ごとに番記者がつき、通年で選手、監督やコーチ、フロントスタッフを取材する。小笠原のような中日ドラゴンズで主戦を張った投手なら、常に番記者たちとコミュニケーションがあったはずだ。しかし、今は違う。僕も含めた日本メディアの事情でいえば、限られた人材と資金(取材経費)では、リリーフ投手のようにいつ投げるか分からない、原稿を書ける計算が立たない選手には、通いにくいものだ。
私が小笠原に会ったのは3月の春季キャンプ以来。開幕後は、最初で最後の取材となってしまった。9月19日の金曜日。挨拶ついでに、個別インタビュー時間をお願いする、という作戦で彼の元に向かった。「3日間のうち、15〜20分くらい、お話しできませんか?」。そう頼むと「たぶんあると思いますよ」とのこと。確約されたわけではない。なにせ、久しぶり。「なんだよコイツ、普段こないくせに都合いい時だけ、話きかせろ、とかいってきやがって」と思われる可能性もある(もちろん、小笠原はそんなことを思う人間性ではない)。私たちの仕事は記者章・取材パスがあれば、誰にでもインタビューができて当然だ、という偉そうな態度を取れるものではない。日々の関係性、信頼を構築してこそ、取材される側、取材させてもらう側で関係が成立するものだ。そういう意味では、小笠原に取材インタビューの依頼は、少し心配だった。はじめから、「おお〜山田さーん!」みたいなノリなら安心だけど、久しぶりの顔合わせは「おつかれさまです」とごくごく一般的な挨拶。ただ、20日の土曜日に小笠原から「いつやりますか?」と聞かれ、練習開始前に単独インタビューが成功した。15分、といいながらスマートフォンのボイスレコーダーの録音は、40分も回っていた。日本では先発投手だったが、二度目のメジャー昇格後はリリーフ。異なる役割にどう順応したのか。異国での食生活は。英語でのコミュニケーションはうまくできているのか。そんな話題を聞いた。
個別取材で縮んだ距離
チーム内での親交で小笠原は〝お菓子外交〟をしている。ボーンズ・ブルペンコーチとゴンザレス・ブルペン捕手を指差し、「うまい棒を持ってきたら、この二人にほとんど食べられました」と笑った。多田通訳を介さず、積極的にチームのメンバーに話しかけている。知人が日本から差し入れる郵送物の中にお菓子が入っており、それを配ったのだという。
今回、正直、第一印象では小笠原が私をどう思っているのか不明だった。挨拶も、ちょっとヨソヨソしい。しかし、2日目は「どうも、どうも」というように頭をペコリと下げてくれた。メッツとの3連戦で登板機会はなかった。試合後、クラブハウスにいくと「3日間、きてもらったのに、なんか(試合で投げなくて)すみません」と言ってくれた。確かにせっかく3日間、球場に通ったからには登板をみたかった。しかし、今回は小笠原と個別に話すことができた時間こそが、大収穫。9月21日の日曜日には、練習前のクラブハウスでオフレコの話もたくさんできた。あの独特のスローカーブを投げる感覚の話。「頭の後ろでボールを離す感じですね。ポーンって。あの(山なりのような)軌道ですけど、低めに投げる、みたいなイメージです。高めに抜けたくないので」。へえ〜と聞きながら、なんだか少しだけ距離が近くなった気がした。20日の土曜日のインタビューで小笠原が日本のスーパーにいかず、食材もない、という旨を話していたので、翌日は日本のスーパーに寄って、お菓子やレトルトカレー、梅干しなどを買って、差し入れ。9月22日のブレーブス戦では2回1/3を1安打無失点の好投。「梅干しのおかげです」とのメッセージがインスタグラムに届いた。シティーフィールドに小笠原を目当てに訪れた日本人ファンがどれだけいるのか、分からない。来シーズンは、ナショナルズの左投手、小笠原慎之介の応援に行ってほしい。
山田結軌
1983年3月、新潟県生まれ。2007年にサンケイスポーツに入社し、阪神、広島、楽天などの担当を経て16年2月からMLB担当。25年3月より、独立。メジャーリーグ公式サイト『MLB.COM』で日本語コンテンツ制作の担当をしながら、『サンスポ』『J SPORTS』『Number』など各種媒体に寄稿。ニューヨーク・クイーンズ区在住。