シンガーソン&#
ニューヨーク、魂の聲が交差する場所
7月のニューヨークは、湿った熱気と鋭い光が混ざり合い、街全体がざわめいているように感じられた。JFK空港に降り立った瞬間から、私はすでに「声なき声」の波に包まれていた。摩天楼の谷間を吹き抜ける風はただの風ではなく、そこを通り抜けてきた幾多の魂の記憶を運んでくる。それは私にとっては音楽のイントロのようであり、この街で過ごす日々が一つの交響曲になることを予感させていた。
タイムズスクエアに立つと、無数のネオンと人波が私の視界を埋め尽くす。だが、私の目にはもうひとつの光景が重なっていた。観光客の足元から立ち昇る淡い光の粒子──それは、この街に希望を託した人々の夢の残り香だった。けれど、同じ場所には濃い影も渦巻いている。失敗、絶望、裏切り、孤独。それらの感情が路面に染み込み、光と影が交錯する螺旋となって空へと昇っていく。私はその響きを耳の奥で聴いた。「ここで真実を語れ」──誰かが確かにそう囁いていた。
セントラルパークに入ると、喧噪は不思議と遠のき、そこだけが別の世界のようだった。大樹に手を触れた瞬間、古代の炎が目に浮かぶ。先住民たちが焚き火を囲み、歌い、祈っている光景。その祈りはまだ木々の幹に刻まれており、私はその波動を掌で受け取った。
未来を変える「音」
ニューヨークは常に新しい街に見えるが、実際には数えきれない祈りと記憶が幾層にも積み重なっている。私はその層を透かし見てしまうのだ。映画『非戦』の構想を深めるために現地スタッフと打ち合わせを重ねていたが、不思議なことに議題の中心はいつも「音」に戻っていった。武器ではなく楽器を持つこと、沈黙ではなく声を響かせること。それが未来を変える鍵なのだと、まるで都市そのものが私に告げているようだった。
偶然のように出会ったカフェの青年は沖縄を訪れたことがあると言い、地下鉄で歌っていたアーティストは「平和を祈る歌」を口ずさんでいた。私は彼らを通して、〝見えない編集者〟が背後でフィルムを繋いでいるのを感じた。
街中から聴こえる聲
マンハッタンブリッジを渡る夜、川面に映った月が突如、赤く滲んだ。その瞬間、私は幻視を見た。川の底から無数の手が伸び、空へと救いを求めている。それは9・11で散った魂かもしれないし、あるいは大西洋を渡ってきた移民たちの涙かもしれない。彼らの聲は混ざり合い、ただ一つのメッセージへと収斂していった。「戦うな。声を響かせよ」私は立ちすくみ、胸の奥で震えるその聲を受け取った。それは映画『非戦』に刻まれるべき言葉であり、この街が私に託した使命そのものだった。
ホテルに戻り、窓から摩天楼を見下ろすと、光のひとつひとつが魂の灯火に見えた。ニューヨークは巨大な霊的回路であり、祈りの共鳴装置なのだ。沖縄の記憶と渋谷の聲、そしてニューヨークの魂。それらを一本のフィルムに刻み、世界へと響かせること──それが、私に与えられた役割なのだと確信した。
都市は沈黙しない。都市は聲を持っている。私はその聲を拾い集め、祈りとして世界に届けていく。

HAL
⾳楽家/著述家
1968年10⽉18⽇生まれ。沖縄県出身。琉球王朝時代から続く正統なユタで、その特異な能⼒により年間で1万⼈以上のカウンセリングを⾏う沖縄では伝説のユタである。2005年から拠点を神奈川県に移した後も、その優れた能⼒のカウンセリングを求め、全国各地から多くの⼈々が訪れた。琉球シャーマンはメッセージを⾳楽で届けており、HALは、これまで20万⼈以上のお悩みに寄り添い、癒し、アドバイスした経験を歌に変えてメッセージ(⾳楽、講演)活動を⾏なってきた。09年に神奈川県から東京都に拠点を移してからは、ソニー・ミュージック・アソシエイテッド・レコーズよりメジャーデビューを果たし、年間90本近いライブ活動や講演会を⾏なっている。17年からは海外での演奏活動も始め、台湾やニューヨークでも活発にライブ活動を⾏なっている。18年から米ツアー(ノースカロライナ、ニュージャージー、アイオワ、ニューヨーク)も⾏い、各地のメディアでも⼤きく取り上げられた。テレビ番組や雑誌などの活動も幅広く⾏なっており、過去には『サンデージャポン(TBS)』、『HEY!HEY!HEY!(CX)』、『ロンドンハーツ(テレビ朝⽇)』などにも不定期で出演した。HALの作る楽曲は「スピリチュアルミュージック」であり、流⾏にとらわれず現代⼈の⼼を癒す、まさに現代の「琉歌」として知られている。また、スピリチュアルアーティストとして、⾳楽のみならず、書籍の出版、絵画、写真など幅広い活動を行う。
琉球ユタとは
琉球(沖縄)信仰において、琉球王国が制定したシャーマンである。公的な神事、祭事を司り、⼀般⼈を相⼿に霊的アドバイスを⾏う事を⽣業とする。アドバイスを⾏うときに「琉歌」を歌い、メッセージを伝える。



