駐妻B・カナコ
実は、今回でこの連載も最終回。最後は今まであまり書いてこなかった、自分が学び、働いてきたフィールドであるファッションビジネスについて考えたい。きっかけは、ジェフ・ベゾス氏とローレン・サンチェス・ベゾス氏が来年のメットガラの筆頭スポンサーになるという発表だ。裏を返すと、アマゾンがメトロポリタン美術館のファッション部門であるコスチューム・インスティチュートを「バイアウト」したとも言える。・・・・・・・・・・・・・・・・非倫理的に得た富で維持されるファッション業界の「倫理」・・・・・・・・・・・・・・・・
2024年時点で、アマゾンの米国アパレル市場シェアは 16 %を超え、最大の存在と言われている。この市場は参入が多く非常に細分化されているものの、次点に位置し、同じく低価格アパレルを販売する小売大手のウォルマートは6%と聞くと、その大きさが浮き彫りになる。
この規模の「成長」は、搾取と環境破壊により成り立っている。あらゆる商品を販売するアマゾンは、その生産や物流、労働基準における倫理・透明性の欠如が常に指摘される大企業の一つであり、アパレル部門もその例に漏れない。にもかかわらず、ローレン・サンチェス・ベゾス氏の財団は、米国の著名デザイナーが所属するCFDA(米国ファッションデザイナー協議会)に600万ドル超を寄付し、ファッション業界のサステナビリティーを支援している。富める者が華やかな舞台で「貢献」を可視化し、現実の構造的問題は覆い隠す、教科書通りのグリーンウォッシングである。今回のメットガラの決定も、それをまた容認してしまっていると言える。
振り返ってみると今年6月、ヴォーグの表紙をウェディングドレス姿のローレン・サンチェス・ベゾス氏が飾ったことは、メットガラの件の予兆であったように思う。モデルや俳優などではない、いわゆる「大富豪の有名人」が同雑誌の表紙になるのは極めて稀である。ヴォーグを傘下に持つコンデナストは、メットガラスポンサー企業の一つであり、ディレクションにおいては中心的存在。今年ヴォーグ編集長は退いたものの影響力は残り続けるアナ・ウィンター氏は、この二人によるファッションへの尽力に感謝の意を表明している。
・・・・・・・・・・・・・・・・
“Tax the Rich”の風刺は、もはや響かない
・・・・・・・・・・・・・・・・
「貢献」しているならよいのではないかー私はそうは思えない。メットガラのようなお祭りに限らず、ファッションやアートは常に富豪や大企業の資本によって実現されてきたが、それがいよいよ、前代未聞クラスのビリオネアの懐にどっぷりと依存するにまで達したのだからーしかも、ファッションと真に向き合ってはいないビリオネアの。アレクサンドリア・オカシオ・コルテス下院議員が2021年メットガラで着用した葛“Tax the Rich” ドレスは、さまざまな形で受け止められ議論を呼んだが、もはやこういった風刺が通用しなくなってしまう。
また、コンデナストは今年の再編成で、比較的独立した立場で政治批判やジェンダー問題に積極的に取り組んできたティーン・ヴォーグを事実上縮小した。これは、収益圧力や大企業の論理による、文化と政治の領域における多様な声の抹消と言える。メットガラに象徴されるようなファッション文化の表舞台に近いメディアもまた、資本主義的ロジックに飲み込まれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
富が文化を支配する構造の中で、抗うことはできるのか
・・・・・・・・・・・・・・・・
私がかつて働いていたブランドは、メトロポリタン美術館のファッション展示に幾度と採用されてきた。今働くブランドは、ヴォーグが新進デザイナーに付与する基金も受けて今の形に辿り着いた。これらは、働く者として「喜ばしいこと」であり、実際に利益ももたらした。しかし、富によってしかファッション文化がもはや維持できない現実に、胸はざわつく。実際にファッションとその文化を愛し支えてきた人たちは、従属させられてしまう。
富が文化を支配する世界で、私たちは何を選び、どのように関わるのか。ファッションの喜びの裏にある構造を見つめ直し、どう受け止めるかが問われている。
最後に、今までありがとうございました。またどこかでお会いできますように。
COOKIEHEAD
東京出身、2013年よりニューヨーク在住。ファッション業界で働くかたわら、市井のひととして、「木を見て森を見ず」になりがちなことを考え、文章を綴る。ブルックリンの自宅にて保護猫の隣で本を読む時間が、もっとも幸せ。
ウェブサイト: thelittlewhim.com
インスタグラム: @thelittlewhim



