巻頭特集

【今週の巻頭特集】セントパトリックデーを楽しむために〜アイリッシュカルチャー入門

 3月17日のセントパトリックデーはニューヨークのアイルランド系移民の歴史と深く結びついた一日。その軌跡を振り返りながら、いまなお更新しつづけるアイリッシュカルチャーの現在を追う。


ニューヨークのアイルランド系移民の軌跡を知る

 ニューヨークとアイルランドの結びつきは想像以上に深い。3月になると、マンハッタン区の5アベニューでは世界最大規模のセントパトリックデーパレードが開催され、街はグリーン一色に染まる。その起源はなんと、米国独立宣言よりも前の1762年にまでさかのぼる。当時、この地に駐屯していた英国軍のアイルランド出身兵士らが行った行進が起源とされているのだ。とはいえ、現在のような大規模な祝祭へと発展したのは、19世紀半ば以降のことだった。1845年に始まったアイルランドのジャガイモ飢饉を契機に、大量の移民がニューヨークへ到着した。飢饉では主食のジャガイモが疫病で壊滅的な被害を受け、約100万人が死亡し、さらに約200万人が国外へ移住したとされる。米国のニューヨーク港にも多くの移民が到着したのだった。彼らが身を寄せたのがローワーマンハッタンのファイブポインツ地区だった。現在のチャイナタウン地区周辺にあたるこの一帯は、当時、米国でも最も貧しい地区の一つだといわれた。

 移民たちを待っていたのは過酷な現実だった。住環境は劣悪で、仕事も不安定。求人広告には「アイルランド系お断り」などと掲げられることもあり、露骨な差別にさらされた。それでも彼らは鉄道や道路の建設など、都市の基盤を支える現場で働き続けた。急速に発展した大都市ニューヨークのインフラ整備の裏には、多くのアイルランド系労働者の存在があったのだ。やがて移民コミュニティーは政治的にも存在感を示すようになる。ニューヨーク市政を長く支配した民主党系の政治組織「タマニー・ホール」は、アイルランド系移民を重要な支持基盤の一つとしたため、彼らは政治的影響力を確立していった。そして19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アイルランド系は警察や消防、行政機関などの公職に多く進出する。ニューヨーク市警や消防にアイルランド系が多いというイメージは、こうした歴史的背景に由来する。

 移民第一世代の多くはマンハッタン南部に暮らしたが、19世紀末から20世紀にかけて居住地は徐々に広がっていく。マンハッタン区ヘルズキッチン地区は、かつてアイルランド系労働者が多く暮らした街として知られる。やがてコミュニティーはブロンクス区にも拡大し、ウッドローン地区は現在も「リトルアイルランド」と呼ばれる。通りにはアイルランド系のパブやベーカリーが並び、周辺にはアイルランド系住民が多く暮らしてきた。クイーンズ区ではサニーサイド地区やロッカウェー地区にコミュニティーが根付き、現在もパブやレストランが多く点在している。さらにブルックリン区ベイリッジ地区にもアイルランド系住民が暮らしている。コミュニティーはニューヨーク全区へと広がったのだった。

 こうした歴史の延長線上にあるのが、3月17日のセントパトリックデーパレード。18世紀に始まった兵士らによる行進は、いまやアイルランド系コミュニティーの存在感を示す、大規模なフェスティバルへと発展した。5アベニューを埋め尽くす隊列には、警察や消防、学校や各種団体が加わる。かつて周縁に置かれた存在が街の中心で行進する光景は、ニューヨークのアイルランド系移民の歩みを象徴しているのだ。

 

               

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