レトロ作品 まったりレビュー

今週の1本 HAMNET

映画監督・鈴木やすさんが、映画好きにもそうでない人にも観てほしいおすすめ新作映画作品をご紹介します。


僕たち家族は毎年夏、8月の初め頃に行うピクニックがある。早朝午前3時ごろに起きてお弁当、折り畳み椅子に敷物を用意してセントラルパークまで出かける。そして公園でピクニックがてら午後 12 時まで長い行列に並んでデラコルテ・シアターで毎年恒例のシェイクスピアの舞台のチケットをゲットするのだ。8時間ほど行列に並んでいると自然に列の前後の人たちと話し始めて、チケットを手にする頃にはすっかり知り合いになっていたりする。主催するパブリック・シアターは「シャイクスピアの舞台は庶民に開かれるべき」というポリシーでこの公演を毎年無料で開催している。舞台に興味のない人からは「なんでそこまでして観たいの?」と聞かれるが、早朝から午前中はセントラルパークでのピクニック、夜は話題のスターが出演するシャイクスピア作品の観劇という1日が毎年ニューヨークの夏の風物詩のようにあると思えば楽しいじゃないですか。家族三人で過ごすとなんでも楽しいのだ。同じニューヨークでも今年同時期にブロードウェーで公演された『オセロ』のチケットは一番 安い席でも200ドルもした。

舞台といえばコロナパンデミックの渦中2021年の春ごろ、舞台を一緒に作り続けてきた友人から「やす、補助金が出たからすぐに芝居をやろう」と連絡があった。話を聞くとニューヨーク市の政策で舞台関係のプロダクションが申請すればすぐに補助金を出すというのだ。条件は三つ、パフォーマンスを行った写真やビデオを証拠として提出する、観客からは料金を取らない、俳優には一人500ドルずつ払うこと。つまりパンデミックの渦中でも舞台芸術の火を消さないように政治が動いたのだ。「そんな不要不急なことに税金を使うとはけしからん」とわめいた納税者は僕の知る限り一人もいなかった。このことからも舞台芸術はニューヨークの欠かせない文化でありアイデンティティーであることがわかる。ニューヨークにお住まいの方々には話題のブロードウェーの舞台だけではなく、オフ・ブロードウェーやオフ・オフ・ブロードウェーの舞台も根気よく支えてほしいと願います。

ありがとう

今回紹介する映画は誰もが知っているウィリアム・シェイクスピアに関するお話しですが、シェイクスピアはどうも難しくてと思われた方にもぜひ観てほしい、家族の愛を描いた感動的な作品です。若き劇作家志望のウィリアムはある日アグネスという女性に恋をする。アグネスの亡き母は村では森の魔女と噂され、アグネス自身も薬草の調合に詳しく、鷹匠として動物を操り、森の自然と深くつながっていた。やがてウィリアムの子供を身籠ったアグネス。二人は家族に大反対されながらも夫婦として歩み始める。三人の子宝に恵まれた二人だが、劇作家としての夢を捨てきれないウィリアムは家族を村に残してロンドンに一人旅立っていく。米国内では毎日のように移民の家族が離れ離れに引き裂かれているニュースを目にする。先人たちが血を流して作り上げ守り抜こうとした米国憲法よりも自分たちの力が上だとばかりに振る舞う想像力の欠如した人間たちに政治の権限を与えてしまうとどうなってしまうのか?今こそ家族の絆の大切さを思い起こす時ではないか。

さて、5年近くに渡りお付き合いいただいた私のコラムも今回で本当の最終回です。物語とはより深い真実とのコミュニケーションであり、芸術は人の心を豊かにする大切なものです。文化芸術がこの世からなくなれば人は生きていくことはできません。皆さんまたどこかでお会いしましょう。ありがとうございました。

 

今週の1本

HAMNET

監督:クロエ・ジャオ
原作:『ハムネット』マギー・オファーレル著
音楽:マックス・リヒター
主演:ジェシー・バックリー、ポール・メスカル

「To die, to sleep, perchance to dream」

(予告はこちらから

 

鈴木やす

映画監督、俳優。1991年来米。ダンサーとして活動後、「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」設立。短編映画「Radius Squared Times Heart」(2009年)で、マンハッタン映画祭の最優秀コメディー短編賞を受賞。短編映画「The Apologizers」(19年)は、クイーンズ国際映画祭の最優秀短編脚本賞を受賞。俳優としての出演作に、ドラマ「Daredevil」(15〜18年)、「The Blacklist」(13年〜)、映画「プッチーニ・フォー・ビギナーズ」(08年)など。現在は初の長編監督作品「The Apologizers」に向けて準備中。facebook.com/theapologizers

 

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