1月生まれ クリ
ニューヨークに宿るスピリチュアルの気配
6月のニューヨーク滞在。私は毎日、街を歩きながら「この土地が呼びかけているもの」に耳を澄ませていた。摩天楼の影に潜む不安と、ハドソン川に広がる光。その対照は、人の心のようであり、同時にひとつの大きな〝魂の磁場〟のようでもあった。
沖縄で育った私は、土地そのものに宿る気配を自然に感じ取る習慣を持っている。海に祈る人々の姿や、戦後を生き抜いてきた老人たちの声。ユタが口伝で語り継いできた「見えない世界の記憶」。それらは幼い頃から私の中に根付いていた。ニューヨークを歩きながら、私は同じ種類の呼吸をここに見た。異なる文化の層が重なり、歴史の痛みが沈殿したこの街には、沖縄の祈りと同じ震えが確かに流れていた。
共鳴を映し出す非戦映画制作
今、私は「非戦」をテーマにした映画制作に取り組んでいる。それは単に戦争を否定する映像ではなく、人がなぜ争いを超えて生きていけるのか、なぜ祈りや音楽が武器よりも強く人をつなぐのかを描く試みだ。戦火の記録を映すことが目的ではない。魂の奥に刻まれた共鳴をスクリーンに映し出すこと。それこそが、ユタが語りかける〝魂の真実〟と重なるのではないかと思う。
ニューヨークには、世界中の人が集まっている。ユダヤの人々、黒人コミュニティー、アジアの移民たち。それぞれが故郷を追われ、あるいは苦難の歴史を背負ってここに根を下ろした。表情の奥にある影に耳を澄ますと、聞こえてくるのは「違いはあっても魂の痛みは同じ」という声だ。沖縄の人々が戦後に歌い継いだ唄の中にも、同じ震えがあった。
そして、その痛みは同時に「つながりの入口」でもある。人は誰しも失うこと、奪われること、忘れられない記憶を抱えて生きている。そこに音楽を重ねると、言葉を超えた理解が生まれる。そこに物語を置くと、国境を超えた共鳴が響く。非戦の映画とは、そうした魂の共鳴を映す場になるのだ。
魂の祈りをつなぐ映画を
なぜ私がこのテーマをニューヨークで挑むのか。答えは沖縄にある。沖縄は地上戦を経験した島であり、戦後も長く「祈り」を背負い続けてきた土地だ。海に流す祈り、御嶽に捧げる言葉、戦後に歌われた「非戦の歌」。そのすべてが私の血の中に流れている。だからこそ、世界の交差点であるニューヨークに立ち、沖縄から受け継いだ祈りを映画に変えることは、避けられない必然なのだと思う。
制作の道のりは平坦ではない。資金も、人材も、まだ十分には揃っていない。脚本をどう磨き上げるか、どのように国際市場に届けるか、課題は山ほどある。だが私は確信している。非戦の物語は理念ではなく、これから人類が生き残るための〝魂の取扱説明書〟になると。ユタが未来を指し示すように、この映画もまた、多くの人を導く光になるはずだ。
ニューヨークの空を仰ぐとき、私はその未来の風景を思い描く。人種も国境も越えて、同じ旋律を口ずさむ観客たち。涙と笑いの中で「戦わない」という選択を知る瞬間。そこに私は、沖縄から続く祈りの延長線を見ている。
まだ始まったばかりの挑戦だが、私は信じている。この道の先に、必ず〝非戦の映画〟が世界の魂を揺さぶる日が来ると。
HAL
⾳楽家/著述家
1968年10⽉18⽇生まれ。沖縄県出身。琉球王朝時代から続く正統なユタで、その特異な能⼒により年間で1万⼈以上のカウンセリングを⾏う沖縄では伝説のユタである。2005年から拠点を神奈川県に移した後も、その優れた能⼒のカウンセリングを求め、全国各地から多くの⼈々が訪れた。琉球シャーマンはメッセージを⾳楽で届けており、HALは、これまで20万⼈以上のお悩みに寄り添い、癒し、アドバイスした経験を歌に変えてメッセージ(⾳楽、講演)活動を⾏なってきた。09年に神奈川県から東京都に拠点を移してからは、ソニー・ミュージック・アソシエイテッド・レコーズよりメジャーデビューを果たし、年間90本近いライブ活動や講演会を⾏なっている。17年からは海外での演奏活動も始め、台湾やニューヨークでも活発にライブ活動を⾏なっている。18年から米ツアー(ノースカロライナ、ニュージャージー、アイオワ、ニューヨーク)も⾏い、各地のメディアでも⼤きく取り上げられた。テレビ番組や雑誌などの活動も幅広く⾏なっており、過去には『サンデージャポン(TBS)』、『HEY!HEY!HEY!(CX)』、『ロンドンハーツ(テレビ朝⽇)』などにも不定期で出演した。HALの作る楽曲は「スピリチュアルミュージック」であり、流⾏にとらわれず現代⼈の⼼を癒す、まさに現代の「琉歌」として知られている。また、スピリチュアルアーティストとして、⾳楽のみならず、書籍の出版、絵画、写真など幅広い活動を行う。
琉球ユタとは
琉球(沖縄)信仰において、琉球王国が制定したシャーマンである。公的な神事、祭事を司り、⼀般⼈を相⼿に霊的アドバイスを⾏う事を⽣業とする。アドバイスを⾏うときに「琉歌」を歌い、メッセージを伝える。