プロスポーツから見る経営学

第104回 米国サッカーの移籍事情

世界的なスター選手がMLSに移籍する理由

かつてメジャーリーグサッカー(MLS)は、「ヨーロッパでのキャリアを終えた選手が最後にプレーする場所」と揶揄されたこともありました。いわば「引退前のリゾート地」のようなイメージです。しかし近年、そのステレオタイプは確実に変化しています。韓国代表のスーパースターであるソン・フンミン選手がLAFCへ、そしてドイツ代表としても名を馳せたトーマス・ミュラー選手がバンクーバー・ホワイトキャップスへ移籍したことは、その象徴的な出来事といえるでしょう。どちらも欧州のトップクラブで長く活躍し、世界的な知名度と実績を誇る選手たちです。ファンの中には「もうピークを過ぎた選手たちでは?」と疑問を抱く人もいるかもしれません。しかし、スポーツビジネスの観点から見れば、彼らのMLS移籍は極めて合理的で、かつ戦略的な判断だといえます。なぜMLSが彼らを欲しがるのか?

選手のもたらすビジネス的価値
 
まずは受け入れる側、MLSクラブの視点から考えてみましょう。彼らが高額な年俸を提示してでもソン選手やミュラー選手のようなスターを獲得するのは、単に試合での勝利を期待してのことではありません。プロスポーツの世界では、「勝利=収益」ではないという現実があります。もちろん、勝つことによって得られる報酬や注目はありますが、それだけでは安定的な経営にはつながりません。むしろ、勝利とは不確実でコントロール不可能な要素であり、それに全てを賭ける経営はリスクが高すぎます。そこで重要になってくるのが、「選手のもたらすビジネス的な価値」です。ソン・フンミン選手はアジア全体、特に韓国・日本・東南アジアにおいて絶大な人気を誇ります。彼の加入によって、LAFCのグッズ売上は急増することが見込まれますし、試合中継の視聴数も国際的に伸びるでしょう。さらには韓国企業とのスポンサー契約の可能性も高まります。一方、ミュラー選手はドイツ国内はもちろん、長年にわたるバイエルン・ミュンヘンでの実績からヨーロッパ中での知名度があり、バンクーバーのような比較的地味なクラブにとっては、世界へのアピール材料となります。

つまり、MLSのクラブは「勝つため」ではなく、「クラブ及びリーグの価値を高めるため」に彼らを獲得しているのです。加えてMLSはアップル社との放映権の契約があり、米国国外に向けてもアピールをしていかないといけない実情も存在します。

米国で新たな人生をスタート

一方で、選手たちにとってもMLSという舞台は魅力的です。ソン選手は「ロサンゼルスは夢のような都市だ」と語り、ミュラー選手も「バンクーバーは自分のライフスタイルに合っている」と述べています。これは単なるリップサービスではありません。MLSはプレーレベルが低いと言われた時代もありましたが、現在では若手の優秀な選手の欧州への移籍は年々増加しており、移籍金に至っては15億円を超えるケースも一般化してきております。スタジアムなどのインフラは世界レベルであり、フィジカルの水準が向上しており、現役としてのパフォーマンスを保ちながら、同時にキャリアの「次」を見据えることが可能な場所です。たとえば、デビッド・ベッカム氏はMLS移籍後にインターマイアミのオーナーとなり、ビジネスマンとしての道を歩み始めました。メッシ選手も引退後の米国でのブランド価値最大化を視野に入れて、インターマイアミを選びました。彼らの動きは、米国という巨大なマーケットでビジネスキャリアを設計する上での布石なのです。MLSはいまや、プレーヤーとしての終着点ではなく、人生の新たなスタート地点になりつつあります。

最後に強調しておきたいのは、「勝利はお金では買えない」ということです。どれだけの移籍金を払おうが、どれだけの年俸を提示しようが、サッカーの試合には絶対はありません。過去にも多くのビッグネームがMLSで苦戦した例があります。しかし、それでもクラブが彼らを獲得するのは、その存在がチームにもたらす波及効果、すなわち「ビジネス的リターン」がそれ以上に大きいからです。ミュラー選手のように「マーケティング目的だけではなく、戦力として必要とされた」ことに魅力を感じた選手もいれば、ソン選手のように「文化的な架け橋」としての役割を果たす選手もいます。ファンとしては、彼らの活躍をピッチ上で楽しむのはもちろんのこと、その裏にあるクラブ経営や市場戦略といった「見えない戦い」にも目を向けてみると、スポーツの楽しみ方がぐっと広がるはずです。

 

中村武彦

青山学院大学法学部卒業後、NECに 入社。 マサチューセッツ州立大学アマースト校スポーツマネジメント修士課程修了。メジャーリーグサッカー(MLS)、FCバルセロナなどの国際部を経て、スペインISDE法科学院修了。FIFAマッチエージェント資格取得。2015年にBLUE UNITED CORPORATIONを設立。東京大学社会戦略工学部共同研究員や、青山学院大学地球社会共生学部非常勤講師なども務める。

               

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