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野球の本場・米国で活躍する日本人メジャーリーガー。取材現場で感じた選手の“今”の思いや状況を深掘りするコラム。
米国で再会する希望は叶わなかった。それが偽らざる本音だ。楽天イーグルスから海外フリーエージェント(FA)権を行使した則本昂大( 35 )が、巨人への入団を決断した。一時は米大リーグ挑戦が確実視されていたが、最終的に選んだのはメジャーではなく、セ・リーグの盟主である巨人で先発復帰する道だった。私は則本の取材経験は多くないが、2014年から2年間、楽天を担当した縁がある。熟考の末に選んだ新天地での挑戦を尊重したい。
「悔いのない選択をします」。 12 月のある日。則本に連絡するとそう返信があった。巨人入団が正式発表された後にもメッセージを送った。「この決断が正解だったと思える野球人生にしたいと思います!」。新たな目標に向かう決意の言葉が届いた。 35 歳で迎えた野球人生の重要な岐路。昨季終了後に海外FA権の行使を表明した際、その視線は海の向こうを向いていたはずだ。メジャーで投げることは長年の夢であり、年齢的にもラストチャンスといえるタイミング。実際、昨季のワールドシリーズ第2戦は、トロントで現地観戦していた。メジャー球団から複数のオファーが届いたが、契約内容などを総合的に判断してNPB(日本プロ野球)を選んだ。巨人との契約は3年総額 13 億円。期待と責任の大きさが金額で示された。

則本はキャリアの序盤から、メジャーのスカウトに注目されていた。2015年の「プレミア 12 」で日本代表に初選出され、2017年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で一気に評価を上げた。「日本ラウンドでメジャーのスカウトたちが驚き、一番の高評価を受けたのは則本だ」。 17 年当時、ア・リーグ強豪球団の駐日スカウトは、そう右腕を絶賛していた。 98 マイル(約158キロ)の直球とウイニングショットの鋭いスプリット。高い奪三振能力はメジャースカウトを強く引き付けた。身長178センチの体格は、プロ野球選手としては小柄な部類に入る。打者に対する投球角度がつかず、不利な面があるとの声もあったが、同スカウトは「私たちの球団は問題にしていない」と明言していた。力のある速球、制球力など総合力を高く評価されていた。
プロキャリア終盤の活躍を期待
17 年のWBCで私は則本と再会した。日本ラウンドを勝ち上がり、アリゾナでミニキャンプのため現地入りした右腕と2年ぶりに顔を合わせた。チーム宿舎で入り待ち。私を見つけると「お!」という表情を見せ、少し会話をした。翌朝、ドジャースのキャンプ地であるグレンデールで行われた練習では、同じく楽天から代表入りしていた松井裕樹(現パドレス)と共通のアイテムを身につけ練習に臨んだ。それは右ふくらはぎを痛め、代表を途中離脱した嶋基宏捕手の背番号「 37 」が刺繍されたリストバンドだ。楽天と日本代表では捕手としてリードし、精神面でも寄り添い、サポートを続けてくれた先輩の思いを背負い、挑んでいた。「写真、撮ってくださいよ。嶋さんに送ります」。則本は、そういうと松井と二人で白のリストバンドを掲げながらポーズを決めた(写真)。

米国代表との準決勝に備え、ロサンゼルス入りした数日後。練習を終えると則本と松井は「何かロサンゼルスっぽいところにいきたい」と私にリクエスト。ハリウッドサインを見に行き、グローブというショッピングモールに出かけた。フードコートでホットドッグをほおばり、日本とは違う雰囲気の街を楽しんだ。世界一をかける戦いの前。束の間の観光でリフレッシュした。その送迎を私が務めた。当時、則本は年俸2億円、松井は9000万円。二人で3億円の選手を乗せていると考えるとすごく緊張したことを覚えている。私は二人に「将来のために、プレゼントを持ってきたよ」とMLB公式球を渡した。ワールドシリーズとオールスターのロゴがプリントされたボールを二人のおみやげとして用意した。「いつか、このボールを投げられますように」。そんな願いを込めたつもりだ。
慣れ親しんだ仙台を離れる寂しさはあるだろう。しかし、プロ野球選手として求められる場所で輝くことこそが生きがいになる。背番号「 43 」を背負い、伝統球団のマウンドに立つ則本。悩み抜いて決めたプロキャリアの第2章。通算120勝 48 セーブのキャリアは、終盤に向かう。物理的な距離は遠いが、新たな野球人生の成功と健康、活躍を祈っている。
山田結軌
1983年3月、新潟県生まれ。2007年にサンケイスポーツに入社し、阪神、広島、楽天などの担当を経て16年2月からMLB担当。25年3月より、独立。メジャーリーグ公式サイト『MLB.COM』で日本語コンテンツ制作の担当をしながら、『サンスポ』『J SPORTS』『Number』など各種媒体に寄稿。ニューヨーク・クイーンズ区在住。



