2018/02/02発行 ジャピオン952号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。ブルックリンの歴史に必ず登場するのが野球。今回は、かつてパークスロープにあった野球場の面影を追ってみる。

パークスロープ❺

 通りの端から端までびっしりとブラウンストーンが建ち並ぶパークスロープの住宅街で、一カ所だけぽっかり広場となっているのが3~5ストリートと4~5アベニューに囲まれた一角だ。独立戦争の命運を決した「オールド・ストーンハウスの攻防戦(1776年8月)」が繰り広げられた古戦場で、今でも石造りの小屋がその一隅に戦跡として復元されている。

戦いのフィールド

 歴史的な場所だからか、19世紀の不動産開発王リッチフィールドもノータッチだった。代わりに1883年に野球チーム「アトランティック」の本拠地が移ってきた。バトルフィールド転じてベースボール・フィールドである。

 球場の名はワシントンパーク。収容数は4500席。総工費1万3000ドル。既に30年近い歴史を誇る「アトランティック」は当時乱立していたリーグを転々とした挙句、同球場を根城に「グレイズ」の名前で活躍する。オーナーは不動産業で財を成したチャーリー・バーン。84年には大リーグ・アメリカンリーグに昇格し、88年には「ブライドグルームズ」(選手7人が一度に結婚したため)に改名。90年にはナショナル・リーグに転籍して、86勝43敗でリーグ優勝を果たす。パークスロープは一躍「野球の街」となり、週末には地元のファンで大いににぎわった。

 チームにさまざまな愛称が付いていた。ブルックリンらしいのが「TrolleyDodgers」。球場周辺を走る路面電車(Trolley)を避け(dodge)ながら素早く道を渡るのがブルックリンっ子の自慢だった。ここまで書けば、同チームが今も西海岸で健在の「あの」球団の前身であることは明白だろう。

帰ってきた球場

 91年に「ブライドグルームズ」は一時、ブラウンズビルのイースタンパーク球場に本拠を移転。98年にバーンが他界後、他球団との経営統合をきっかけに、旧球場のはす向かいに新設された「ワシントンパーク第2球場」(観客席数1万8800)に返り咲く。翌99年にチームは101勝47敗でナ・リーグ優勝。圧倒的人気を獲得する。

 1902年、バーンの後継のチャールス・エベッツが球団買収を完了させる。さらなる観客動員を目指し13年、クラウンハイツにコンクリートの新球場を建て、自らの名を冠した。

 その後は、ドジャースの歴史なので別稿に譲るとして、気になるのは、人気球団に去られたパークスロープの方だ。同街では、14年に第2球場を鉄骨コンクリート構造に改装して、新生のフェデラル・リーグ所属ブルックリン・ティップ・トップスを迎えるも、同リーグは2季で解散。球場は解体され、「野球の街」パークスロープは30余年の歴史を閉じた。いまは、3アベニューに第3球場の外野の壁だけが残る。(中村英雄)

パークスロープの特徴であるブラウンストーンの街並み。19世紀の後半には中産階級も住み始めた
ワシントンパーク第1球場(1883年~92年)があった場所。当時は、球場周辺は路面電車が行き交っていた
3アベニューに残るワシントンパーク第3球場の壁。在りし日の歓声はもう聞こえない

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