2018/01/19発行 ジャピオン950号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。パークスロープの「生みの親」リッチフィールドが建てたイタリア式のヴィラにまつわる歴史をもう少し歩いてみる。

パークスロープ❸

 1852年に、鉄道ビジネスで築いた財産を投じて、現パークスロープ一帯の土地を約1平方マイルにわたって買い占めたエドウィン・リッチフィールドは、54年には地所を見下ろす丘の上に私邸の建築を始めた。3年を費やして完成した大邸宅は人気建築家アレクサンダー・デービスが心血を注いだイタリア荘園風のヴィラで、全米の富豪の間で話題となった。

公園造園で邸を手放す

 リッチフィールド一家がここに住んだのは10年あまりと意外に短い。実は、59年にソフトオープンしていたマンハッタンのセントラルパークに対抗して、ブルックリン市は60年に土地を購入、同規模の市民公園の造園計画を進めていた。当初、設計者として抜てきされたのは市役所土木課のエグバート・ディールだ。ところが、彼のデザインは不評。しかも南北戦争が勃発したため、プロジェクトは頓挫した。

 65年に戦争が終わって公園計画が再開。今度はセントラルパークの成功で時代の寵児(ちょうじ)となった建築家カルヴァート・ヴォーを投入して、ディールの初期プランを徹底的に改変した。中でも大きかったのが、公園西の境界を当初の10アベニューから9アベニュー(現プロスペクトパーク・ウェスト)に移した点。リッチフィールドのヴィラを周囲の丘ごと公園内に包含するという考え方だ。

 地元の「王」であったリッチフィールドは、さぞかし立腹したと思うが、この時、同市が追加で支払った補償金が170万ドル。全公園の土地購入費400万ドルの42%に当たるというから、さしものリッチフィールドも頭を縦に振らざるを得なかった。

 ヴォーの新設計によるプロスペクトパークは67年に完成。楕円(だえん)形の広場(グランドアーミープラザの原型)や大自然を模した池、そして緩やかな曲線を描く園内道路が特徴だ。ブルックリン歴史協会が保存する74年版の地図をみると、かつてあった10アベニューは、外周道路「ウェスト・ドライブ」に塗り変わり、旧リッチフィールド邸は公園内に小さく描かれている。

NYで一番住みたい街に

 プロスペクトパークができたおかげで、公園沿いの宅地の人気が急増する。馬車道だったプロスペクトパーク・ウェストには市電が走り、ビジネスの成功者や実力派の政治家たちが続々移り住んでくる。彼らは、競って当代人気の建築家を雇い最新流行の様式で屋敷を建てる。結局、不動産ブームで、リッチフィールドはさらなる富を得た。

 90年代に入ると、人々はこの辺りを「パークスロープ」と呼び始めた。大都会マンハッタンのけん騒から距離を置き、広大な公園を裏庭に持つパークスロープは、「住みたいエリア」ナンバーワンと称された。(中村英雄)

19世紀末のリッチフィールド・ヴィラ。当時は外壁が白く塗られていた。同建物は現在、公園管理塔
1874年の古地図。旧リッチフィールド邸はパーク内に小さく記載されている
プロスペクトパークの入り口のグランド・アーミー・プラザ。南北戦争を記念する凱旋門は1892年に除幕した

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