レトロ作品 まったりレビュー

今週の1本 Stealing Beauty (邦題: 魅せられて)

映画監督・鈴木やすさんが、思い出の映画作品を、鑑賞当時の思い出を絡めてゆったり紹介します。


今回でこの連載も最終回になります。パンデミックの最中に家で巣ごもる読者の皆さんのために過去の名作映画をたくさん紹介して観てもらおうと始めました。三年半に亘り、たくさんの反響や感想をいただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。最終回はこの映画を書こうと大事にとっておいた作品をついにご紹介できます。

「あなたの一番好きな映画はなんですか?」。誰でもこの答えに困る質問をされたことがあるだろう。映画ファンであるほど答えられない。僕は『スティーリングビューティー』ですと答える。この映画を観るたびに心が溶けて、観終わった後もしばらくボーッと温かい水の上で浮かんでいるような気持ちになる。そして1カットたりとも心を揺さぶらない映像のない、本当に美しい映像の交響曲であり、深みに導く抒情詩でもあり、フルーティーでコクの深いボルドーの赤ワインのような豊かな芸術作品です。晩年のベルトリッチ監督の作品は、10代の若者が感じて想像するような青々として甘酸っぱくてみずみずしい題材とストーリーを熟年の経験と感性で奏でた作品が多く、監督の芸術家としての人生に心から感謝の気持ちが湧き出る思いです。

19歳の米国の女の子、ルーシーが自殺した詩人の母親の過去と彼女の本当の父親を探しにイタリア、トスカーナ州への旅に出る。そこで出会う母の友人たちの人間模様。ある人は芸術に打ち込む人生を生き、ある人は成功を追い続け、そしてある人は人生を終えようと静かなともしびを揺らす。そして旅の過程で彼女自身が経験する大人への飛躍。

僕の二人目の母親も6年前に自ら命を絶った。その時に初めて彼女の一人の人間としての過去の数々を知った。それまで僕は自分で生きることに追われてそんな大事なことを知ろうともしなかった。家族と葬式を終えてニューヨークへ帰ってきた夜、妻と娘が眠りについた後、キッチンで一人で泣き明かした。泣きながら「いまさらで本当にごめんなさい。ありがとう、ありがとう」と何度も何度もつぶやいた。あれ以来、まだこの映画を観られる心の状態にはありません。硬い鋼鉄のように曲げられない信念を持ち、人も寄せつけない覚悟で生きようとしていた自分が恥ずかしくて懐かしい。絹のように柔らかくたくさんの人たちを包み込む生き方をこの先はしていきたい。人生は短いんだ。そんな気持ちにさせてくれる映画でもある。

アンチアルゴリズム

この連載を続けているうちに気がついた。「アルゴリズムの逆を行こう」と。ストリーミングで映画を見終わると、アルゴリズムがあなたの好きそうな映画をずらりと並べて見せてくれる。人工知能に勧められた映画を見続けていくのは確かに面白いかもしれない。でもそれは、あなたの嗜好の過去のデータをもとにしていて、どんどん奥へと深くなってはいくが横には広がらない。このコラムは、読者が思いもつかなかった未来の映画の扉を開けようと思った。チックフリック(女性の好む映画)は興味がなくて見てもしょうがないと思い込んでいた読者が、主人公の若い女の子の気持ちに共感して思わず涙してしまうような、自分に対する驚きを映画を通して感じてほしいと思った。

このズタズタに分断された世の中で、映画だけはまだ人をつなげてくれる。考え方の違う人間同士が映画館の暗闇の中で感動や笑いを共有する。映画ってやっぱり素晴らしい。次回から新作を紹介する新連載が始まります。お楽しみに。皆さんありがとう。

今週の1本

Stealing Beauty (邦題: 魅せられて)

公開:1996年
監督:ベルナルド・ベルトリッチ
音楽:リチャード・ハートレイ
出演:リヴ・タイラー、ジェレミー・アイアンズ
配信:Amazon Prime、Apple TV  他

自殺した詩人の母の過去と本当の父親を探しにルーシーはイタリア、トスカーナへの旅に出る。

(予告はこちらから

 

鈴木やす

映画監督、俳優。1991年来米。ダンサーとして活動後、「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」設立。短編映画「Radius Squared Times Heart」(2009年)で、マンハッタン映画祭の最優秀コメディー短編賞を受賞。短編映画「The Apologizers」(19年)は、クイーンズ国際映画祭の最優秀短編脚本賞を受賞。俳優としての出演作に、ドラマ「Daredevil」(15〜18年)、「The Blacklist」(13年〜)、映画「プッチーニ・フォー・ビギナーズ」(08年)など。現在は初の長編監督作品「The Apologizers」に向けて準備中。facebook.com/theapologizers

 

あなたの思い出の映画はなんですか?

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editor@nyjapion.comまでお寄せください。

               

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