プロスポーツから見る経営学

第105回 国際試合の運営

日本代表勝利を支える舞台裏の周到な準備

サッカー日本代表が先日実施した米国遠征は、競技面だけでなく運営面でも多くの示唆を与えてくれました。対戦相手は、北中米の強豪であるサッカーメキシコ代表とサッカーアメリカ合衆国代表です。特にサッカーメキシコ代表戦は、オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムを野球場から転用して行われ、ピッチに立った選手たちは、視覚的な奥行きや芝の継ぎ目、ベンチの配置などに普段と異なる感覚を覚えたはずです。それでも国際親善試合が成立するのは、陰で準備を進める人々が綿密な段取りを重ねているからに他なりません。彼らは表に出ませんが、勝負の質を左右する極めて重要な存在です。

私自身、ハワイ州ホノルルで毎年開催しているプロサッカーの国際大会「パシフィックリムカップ」を主催し、国際マッチエージェント(FIFA Match Agent)の資格を有する立場として、これまでに150近い国際親善試合や国際大会に携わってきました。そこから見えるのは、見えないところにも勝負の分かれ目が潜んでいるという事実です。

多岐にわたる「見えない準備」

まず重要なのは会場です。多くのプロクラブは天然芝を求めますが、単に〝芝であること〟では十分ではありません。芝丈、刈り方向、散水のタイミングまで議論になります。ショートパス主体のチームは転がりを良くするために短めを望み、守備色の強いチームは少し重さを残すこともあります。野球場転用の場合は仮設ピッチが増えるため、継ぎ目の段差、コーナー付近の退避動線、照明の角度など、普段以上の配慮が必要です。

移動面では、長距離フライトでの疲労軽減が鍵となります。理想はビジネスクラス以上ですが、予算配分との綱引きになります。チャーター便にするのか、定期便のブロックにするのか、到着後の時差調整を見据えて便名を選ぶのか。医学的知見に基づく計画表を事前に配布することも珍しくありません。

ホテル選びもまた神経を使います。選手を個室にするか二人部屋にするか、監督やコーチングスタッフの動線、メディカルルームやトリートメント台の配置、アイスバスやリカバリー機器の電源容量、チームミーティング・食事会場の導線と営業時間など、細かい要素も検討されます。食事は栄養設計が前提ですが、例えば細かいことで言えばドレッシングの種類への要望や、持ち込み補食の保管規則、帯同シェフがホテル厨房に入れるかどうか、なども交渉することがあります。

練習会場の確保は〝距離と質〟の最適化です。宿泊地から近いほど良いですが、渋滞のピークを外せるか、芝の回復サイクルに合わせて割り当てられるか、更衣室や氷の供給、用具車の搬入経路、警備の配置、報道対応の動線など、複合的に評価します。私もかつてコーチと一日で七つの施設を回り、芝の弾性や散水設備、周辺交通を点検して最終決定したことがあります。

忘れがちですが、関係各所との許認可や手続きも多岐にわたります。試合当日の選手バスの警察によるエスコート手配、ビザや就労関連の確認、医療・賠償保険の適用範囲、備品の通関と一時輸入、セキュリティー計画と非常時の避難導線、ロッカールームの割当とウォームアップスペース、競技規則とローカルルールの突合などです。この「見えない準備」が、試合当日の混乱を未然に防ぎます。

日本代表の勝利を目指して

2026年に開催されるFIFAワールドカップ・北中米大会では、開催地間の移動距離と時差の扱いがさらに重要になります。アメリカ合衆国内だけでも複数の時間帯が存在し、気候も乾燥地から湿潤地まで幅が広いです。ピッチ上のチームが戦術で競う一方、舞台裏では「移動・回復・情報」の三点で競争が起きます。最適な移動計画、睡眠設計、補水と栄養、そしてスカウティング情報の伝達速、これらはすべて勝敗に直結します。

遠征や国際大会は、試合そのものよりもはるかに広い「総合プロジェクト」です。表に出ないけれども要を支える人々の働きに光を当てつつ、私たちはサッカー日本代表を引き続き応援したいと思います。見えない努力が積み重なるほど、ピッチ上の90分は研ぎ澄まされます。結果は決して偶然ではありません。

 

中村武彦

青山学院大学法学部卒業後、NECに 入社。 マサチューセッツ州立大学アマースト校スポーツマネジメント修士課程修了。メジャーリーグサッカー(MLS)、FCバルセロナなどの国際部を経て、スペインISDE法科学院修了。FIFAマッチエージェント資格取得。2015年にBLUE UNITED CORPORATIONを設立。東京大学社会戦略工学部共同研究員や、青山学院大学地球社会共生学部非常勤講師なども務める。

               

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