レトロ作品 まったりレビュー

今週の1本 A House of Dynamite

映画監督・鈴木やすさんが、映画好きにもそうでない人にも観てほしいおすすめ新作映画作品をご紹介します。


この原稿を書いている時点で、ガザでは残されたイスラエルの人質が2年ぶりに解放されて終わりの見えなかった今回の戦争に終息の兆しが見え始めた。しかしなにを持って終息と納得すれば良いのだろう。ガザの街はほぼ壊滅的に爆撃し尽くされ、約6万7千人の人々が殺害され、約17万人の市民が負傷している。1993年のオスロ合意で当時のイスラエルのラビン首相とパレスチナのアラファトPLO議長がクリントン大統領の仲介で笑顔で握手を交わす光景を見て「これで長かった戦争がやっと終わる」と感動したのを覚えている。それを思い出すと今の状況は本当に胸が引き裂かれる思いだ。しかしこの2年間を振り返って一番恐ろしいと感じたのはSNS上での情報操作の怖さと、それにいとも簡単に翻弄される群集心理である。イスラエル=抑圧側、パレスチナ=被抑圧側という単純な構造だけしか見えなくなった群衆が群衆を呼び、建設的な議論ができない状態までになってしまっている。大学構内ではユダヤ系の学生が「シオニスト」と罵倒され、「正義を振りかざすよりも建設的な議論を」と呼びかけた者がキャンセルされてしまう。ネット上ではガザでのイスラエル軍による非人道的な攻撃の情報が津波のように流れているのに比べて、現在ナイジェリアで起きている宗教を理由にしたシステマティックな虐殺については極端に情報が少ないのはなぜか? ネット上の特定の事象に関する偏った情報量の多さの裏には政治的なプロパガンダの陽動があるのではないか? 感情を煽って冷静に判断させないように仕向けられているのではないだろうか? 外的な情報操作だけではない。アルゴリズムで一部の視点だけの情報へ次々と誘導させられた人は、自分がもしかすると間違っているかもしれない可能性を認識できなくなり、別の視点からも情報を見ている人との議論が不可能になる。違った意見を持つ者同士が同じ社会で一緒に平和に生きられるように言葉の力を使い、お互いの妥協点を見つけていく「民主主義」そのものがこの戦争の一番の被害者ではないだろうか。今回の映画はそんな不安定な現代社会で起こり得る核戦争を扱った、キャスリン・ビグロー監督の政治スリラーを紹介したい。

一本の導火線

アラスカ州のグリーリー米軍基地で衛星レーダーが一発の大陸間弾道ミサイルが発射されたのを確認した。発射された場所と国は特定できないがミサイルのテストであろうと誰もが信じていた。同じ時間、ホワイトハウス内の監視施設でもミサイル発射を確認するがミサイルの弾道を分析するうちにそれはテストではなく、18分後にシカゴに着弾する本物のICBMミサイルであることが判明し監視施設はパニック状態になる。そしてワシントンD・Cから避難するヘリコプターの機内で米国大統領はミサイルがシカゴに着弾する前に報復核攻撃をするか否かの決断を迫られる。映画はその緊迫の18分間を複数の軍と連邦施設の視点から描いている。タイトルの「ダイナマイトの家」というのは、ダイナマイトで囲まれた家を建てれば、全部のダイナマイトを爆発させるのに全ての導火線に火をつける必要はなく、一本の導火線に火をつけるだけで全てが爆発する現代の世界の核装備の脆さを表現している。私たちが生きている世界はバランスが少しでも崩れれば一気に破滅に向かう不安定さの上に立っている事をこの映画は気づかせてくれる。ネット情報に振り回されている余裕はない。

今週の1本

A House of Dynamite

監督:キャスリン・ビグロー
脚本:ノア・オッペンハイム
音楽:ウォルカー・バーテルマン
主演:レベッカ・ファーガソン
アドリス・エルバ

「今これを間違えたら、明日には一人も生きていないぞ」

(予告はこちらから

 

鈴木やす

映画監督、俳優。1991年来米。ダンサーとして活動後、「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」設立。短編映画「Radius Squared Times Heart」(2009年)で、マンハッタン映画祭の最優秀コメディー短編賞を受賞。短編映画「The Apologizers」(19年)は、クイーンズ国際映画祭の最優秀短編脚本賞を受賞。俳優としての出演作に、ドラマ「Daredevil」(15〜18年)、「The Blacklist」(13年〜)、映画「プッチーニ・フォー・ビギナーズ」(08年)など。現在は初の長編監督作品「The Apologizers」に向けて準備中。facebook.com/theapologizers

 

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