食ビジネス古今東西

第15回 日本食材輸出の潮目が変わった時

当コラムでは、食ビジネス戦略のスペシャリスト、釣島健太郎が米国食ビジネスを現在、過去とさまざまな観点から検証。その先の未来へのヒントやきっかけを提示していく。


幼少時代を父の仕事の関係で10年ほどニューヨークで過ごす機会に私は恵まれたが、私が社会人として自分の意志でニューヨークに戻ってきたのは2005年である。日本で大学を卒業し、外資系IT会社に就職したが、アメリカで仕事をしたい、挑戦したいとの気持ちが日に日に強くなっていった。

幼少時代の半分をアメリカで過ごし、大学時代のあだ名が「アメリカン」だった私にとってはこの気持ちは当然のことであったかもしれない。それからご縁を頂いた食品商社に転職するべく行動し、東京での勤務を経てビザを取得し、ニューヨークにまた戻ってくることになった。ロサンゼルスが本社の会社であったので、ロサンゼルスで働くことをイメージしていたが、またニューヨークに戻ってくることになり、運命とは不思議なものだと感じた。

時代とともに拡大してきた輸出産業

05年に到着した翌年06年、当時の農林水産省の松岡利勝大臣が日本食輸出拡大を目指して最前線で日本食材の販売をしている方々と意見交換をしたいとの連絡が入った。日本食商社複数社の責任者に声が掛かった。私の上司がその当日は別の予定があり、都合がつかないため、まだ30歳手前の私が急遽その意見交換会に参加することになった。

そのような場に入れることに当時はただうれしく光栄に思い、せっかくだからと発言もさせていただいた。まだ業界での経験も浅く、他の企業は当然責任者が来ている中での発言は、今思えばとても恐れ多いことである。

この会議の冒頭で松岡大臣はこのようなコメントをされた。「今までの農林水産省の仕事は日本の農業や産業をいかに守るかであった。輸入規制等を考え、しっかりと対策を取っていくことが重要であったが、ここ最近は潮目が大きく変わり始めている。これからの時代は日本の食材をいかに世界に輸出するかを考え、行動していきたい。その観点からニューヨークで日本食材を販売している皆さんの率直な意見を伺いたい」。

日々日本食材の輸出入に関わっている私にとっては今さら輸出に力を入れたいとはどういうことかと当時は少し驚きもあったが、日本政府が日本食ビジネスの拡大に本腰を入れ始めた時期がまさにこの06年なのである。その後13年に日本食の中でも和食がユネスコ無形文化遺産に登録された。そして今年22年、農水省は輸出支援プラットフォームをアメリカで立ち上げた。

06年に約4400億円だった日本からの農林水産物の輸出額は、21年には1兆円の大台に到達した。うちアメリカ向けは1683億円となっており、品目別ではアルコール飲料が238億円で第1位、ハマチが158億円で第2位、緑茶が103億円で第3位となっている。30年には5兆円を目標として掲げている。

日本食ビジネスへのサポートが鍵

今でこそ日本食は日本が誇る優れた文化の一つとして認められる存在となっているが、国としての取り組みはつい16年ほど前に始まったばかりと言っても過言ではない。今では当たり前のように思い、感じている常識を、少し長いスパンで見ると実は大きく変わっていることに気付く。諸行無常である。

国としての日本食ビジネス拡大への取り組みは、これからさらに定着、熟成するための活動を継続していくことが重要である。皆さんの近くでもさまざまな局面で日本食材のプロモーション活動を目にすることがあるかもしれないが、食材のことを一つでも多く学んでいただき、草の根的にサポートしていただければ幸いである。

 

 

釣島健太郎
Canvas Creative Group代表

食ビジネスを中心とした戦略コンサルティング会社Canvas Creative Group社長。
「食ビジネスの新たな未来を創造する」をコンセプトに、現在日本からの食材・酒類新事業立ち上げ、現地企業に対しては、新規チャネル構築・プロモーションから、貿易フローや流通プロセスの最適化、物流拠点拡張プランニングまで、幅広くプロジェクトを手掛ける。
canvas-cg.com

 

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