読書と本が好&#
各州の予備選結果速報が続く(ニューヨークは4月2日)。混乱が予想される大統領選が、帰ってくる。
2020年秋、投票の再集計が続いていたあの土曜日、私は近所の公園にいた…コンポスト用の食品ゴミを片手にいつもの回収場所まで歩いていたら、急に拍手と歓声がわき、どこからか音楽が流れ出し、人々は踊り始めた。「はぁ、やっと結果が出たんだ」秋晴れの空の下、公園いっぱいに広がった歓喜や安堵は今も鮮明に覚えている。
とはいえこういった時、米国永住者でこの国での投票権がない私は、蚊帳の外にいるようにも感じる。日々生活し勤労や納税はしていても、投票という大きな責任を「果たさない」自分に、公園で踊り出すほどの実感はあるようなないような。けれども厳密には、この国で私は投票の責任を「果たす選択を躊躇する」わけで。その背景には、日本の国籍法に含まれる一つの条項の存在が大きい─似た状況にいる人々の一部にとって、米国籍(市民権)の取得をためらわせるものだ。
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明治時代から維持されている国籍法11条1項
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国籍法11条1項により、「日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」ことになっている。驚いたことに、この条項は明治憲法下の1899年から変わっていない。一方で現行の憲法22条2項は、「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」と定めている。
「国籍はく奪条項違憲訴訟」と聞くとピンとくる方々もいるだろう。これは、11条1項の「国籍の自動的喪失」は違憲無効だと訴える複数の裁判を指す。人権の観点からも運用の面でもこの条項にはかなり無理があり、外国籍取得後も日本国籍を事実上保持できるケースは多いと言われる。しかし容認されていない以上、実際に困難を経験する方々もまた多数存在する。例えば、日本国籍を失い日本での長期滞在に在留資格が必要になる、日本国籍を喪失したと知らずに日本に入国し「不法滞在外国人」になる、日本国籍喪失を恐れ居住国で国籍を取得できず社会的・経済的機会損失に繋がる、といったケースがある。
一方で米国では、複数国籍所有が可能だ。国連加盟国で見ても、今年1月に複数国籍制限を廃止したドイツも加わり、外国籍を取得しても原国籍を自動的に喪失しない制度を持つ国は7割を超えている。
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「勝手に選んだくせに」「欲張り」「戦争が起きたら?」
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この件を調べていると、「勝手に外国を選んだくせに」「欲張り」「戦争が起きたらどうするのか?」といった声が耳に入ってくる。
「勝手に外国を選んだ」としても、国籍までも闇雲に一つに選択させるのは強引であり、それが個人の人生とアイデンティティーに及ぼす影響は小さくない。また、コロナ禍のような事態や、家族が助けを要している状況、そのほかにも人生には様々な変化や決断の場面があり、自由な移動や生き方の選択に寄り添ってくれる仕組みが必要になる。国際化が進む中、130年以上前から続く規定に柔軟な対応を求めるのは、「欲張り」なのだろうか。そして「戦争が起きたら?」これについては、国籍法いかんの前に何としてもするな、それに尽きる。冒頭で触れた投票権など選挙に関しては、一国に限定すべきかの議論を続けていくことができるだろう。
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たかが国籍、されど国籍
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そのほかにも、両親の一方が日本国籍で他方が外国籍である場合など複数の背景を持つ子供に、一定年齢で選択を求める国籍法14条も、非常に残酷になり得る。帰化や日本国籍取得を希望する日本在住の外国籍所有者やその子供に対しても、闇雲に制限しようとする考え方が、国籍法には見られる。
たかが国籍、されど国籍。この枠組みがある社会や世界を生きる限りは、人々の多様化する生き方を考慮した制度や仕組みは必要になっていく。
米国国内、そして世界にも大きな影響をもたらす2024年の秋。私にとっては、蚊帳の外なりにコミットしつつ、日本の国籍の考え方とそこに求める寛容さについても考える機会に、今年もなるだろう。
COOKIEHEAD
東京出身、2013年よりニューヨーク在住。ファッション業界で働くかたわら、市井のひととして、「木を見て森を見ず」になりがちなことを考え、文章を綴る。ブルックリンの自宅にて保護猫の隣で本を読む時間が、もっとも幸せ。
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