この駅の周辺&#
先月6日火曜日の空は、ピンクがかったグレーで、不穏な感じがした。それが水曜日には、濃いオレンジに濁り、煙の臭いも強くなり、いよいよ異常を察知した。「apocalyptic」(世界の終末を思わせる)という言葉を、人生でもっともよく聞いた数日間だった。
カナダ東部の森林火災の煙が、ニューヨークに届いていると報じられる。その森林火災は、地球温暖化により悪化した気候と環境が引き起こす現象ということも。「同じ空の下」という表現がある一方で、「対岸の火事」ということわざもあるけれど、気候危機には国境がないということを痛感した。
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「安全を確保できるか否か」で分かれる街
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行政が個人に向け発した安全確保の呼びかけを注意深く読み、私はそれに従った。しかし、この安全確保は、ニューヨーク州にいる全ての人々に実行可能なのだろうか。不要な外出はしない。外出時はN95マスクを着用する。室内では空気清浄を行う。2020年に散見されたのと似た喚起と、それに対する反発を思い出す。
職業や学業などの理由から外出を避けられない、路上で生活をしている、高性能マスクが手に入らない、空気清浄手段を持ち合わせていない、身体的理由などから不安が特に大きいなど、こういった人々には、さらっとした呼びかけは、いたく残酷に響いただろう。それに迅速に対応し、マスクを無料配布する団体が動いた。
もはや国境がない気候危機が直撃した場所では、「同じ街」を共有する人々が、「安全を確保できるか否か」で分け隔てられる現実を、目の当たりにした。
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「気候正義」と「自分ごと」
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気候正義という言葉と その意味を、改めて思い出 す。専門機関による気候 危機に関する報告書の要 約を読むと、温室効果ガ ス排出など気候危機の深 刻化に責任がある国、地域 や人々と、その責任は軽い にもかかわらず大きな影 響を受ける国、地域や人々 (Most Affected People and Areas、頭字語でMAP A)との、対比が浮かび上 がる。この格差の奥には、植 民地主義、構造的差別、社 会経済的不平等などがあ り、その是正が気候正義の 軸にある。そうか、気候危 機は人権問題でもあるのだ な、と気づく。
加えて、「気候危機を『自 分ごと』に」というフレーズ もよく聞く。実際に自分の 街が被害を受ける経験を すると、「自分ごと」度は高 まる。しかし、格差や差別 によって気候危機の影響が 不均等に分けられる今、気 候正義を視野に入れ、つま りは「誰か」のことを含め て、気候危機を「自分ごと」 にするって、どういうこと だろう。独りよがりになら ない形で他者を真に理解す るのは、とても困難なのに。
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半径を広げ、「誰か」と 話すと、
政治的な「自 分が果たすべき責任」が 「自分ごと」になる
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私は気候危機の専門知 識を持たない。けれど市井 のひととして、前を向くた めに個人ができると思う ことはある。まずは各個人 が、気候危機を、身近で差 し迫った課題だと認識す る。これは文字通り、気候 危機を「自分ごと」にする。
大事なのは、先ほどのM APAに当たらないと自 覚できる人たちは特に、こ こで終わりにしないこと。
そこで次は、自分の周り の半径を大小さまざまに 広げ、異なる声を持つ多様 な「誰か」と話す。「誰か」と 「自分」の繋がりをつまび らかにしていく。自分が当 たり前に思っている生活 様式や政治・経済システム が気候危機を悪化させて いることも、見えてくる。すると、日々の行ないに加 え、政治的な意思決定を含 めた「自分が果たすべき責 任」がわかる。それが、気候 正義の目線から気候危機 に対してできることとなり、 「自分ごと」として返って くるのではないかな。
まるで、世界の終末を思 わせる現象は、今後さらに 頻繁に世界各地で起きる と予想される。大気汚染の 不安が続く中、空を見上げ 思う。
「同じ街」「対岸」「国境の 先」であろうと、どんな生き 方をしていようと、私たち はみな、安全で公正な世界 をきっと望んでいるはず… 同じ空の下で
COOKIEHEAD
東京出身、2013年よりニューヨーク在住。
ファッション業界で働くかたわら、市井のひととして、「木を見て森を見ず」になりがちなことを考え、文章を綴る。
ブルックリンの自宅にて保護猫の隣で本を読む時間が、もっとも幸せ。
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