巻頭特集

ラジオシティー・ミュージック・ホールの魅力

ニューヨークに住んでいると一度は訪れたことがあると思われるラジオシティー・ミュージック・ホール。冬の公演、『クリスマス・スペクタキュラー』のロケッツはもちろん、長い歴史の裏側は意外と知られていない。今号では、知っているようで意外と知らない同ホールについて紹介していく。(取材・文:音成映舞)


景気低迷の街を商業施設へ ロケッツの長い歴史が始まる

1929年、世界恐慌の中、資産家一家として有名だった、ジョン・ディヴィソン・ロックフェラー・ジュニアは、密造酒地帯として知られていたミッドタウン地区の一画を賃貸契約した。当時は新しいメトロポリタン・オペラ・ハウスのような造りにして、ホール近隣に建設するロックフェラー・センターと共に、商業施設として生まれ変わらせることで、近隣を高級化する計画だった。景気低迷の中で紆余曲折あったとはいえ、この大胆な計画が功を奏したのだ。

商業パートナーを探していたロックフェラー・ジュニアは、人気映画の制作・配給をしていたラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(RCA)と、全米の低迷する劇場を復活させたことで、〝演劇の天才〟として評価されていた興行主、サミュエル・ロキシー・ロサフェルと共に、建設への夢を実現させた。

ちなみに、当時RCAの社長だったデイビッド・サーノフが、「ラジオ・シティー」と名付けたそうだ。

 

クリスマスシーズンの装飾は、観光客の人気撮影スポット

 

無名デザイナーから生まれたホール

内部空間のデザイン・コンペティションに参加した中でも無名だった、ドナルド・デスキーが採用されたのはなぜか。それはコンペにおいて、デスキーが最も優雅な劇場にすると宣言した通り、過剰さよりも優雅さを、華やかさよりも壮大さを選んだことが勝ち残った理由といわれている。

八つのラウンジと喫煙室を含む30以上の独立したスペースをそれぞれ独自のモチーフで設計したデスキーは、自ら家具やカーペットをデザイン。劇場の内部空間を引き立てるために手すり、看板、装飾の細部のデザインもコーディネートしたという。エレガントで洗練された統一感のある同ホールは、アメリカン・モダニズムとして現在も絶されている。

多くの人が訪れる劇場への成長

1932年12月に開場して以来、ステージショー、映画、コンサートの他に、トニー賞など特別イベントが楽しめる同ホール。中でも、『クリスマス・スペクタキュラー』は、ニューヨークを代表する伝統のクリスマスイベントへと成長した。

1920年代、ロケッツはわずか16人の女性たちから始まったダンスカンパニー。セントルイスで「ミズーリ・ロケッツ」として興行をスタートさせたカンパニーの公演を見たロサフェルが、カンパニーをニューヨークへ移転させた。以来、公演が大成功。人気のショーとなった。

ロケッツは、第二次大戦中に海外にいる軍隊へ全米慰問協会(USO)からボランティアとして参加した最初のエンターテイナーだったそうだ。その後も、大統領の就任式でのパフォーマンス、感謝祭のメイシーズパレードへの参加など、一世紀近く経つ現在でも、その活躍は続いている。その他にもカンパニーはダンス育成プログラムを開発し、さまざま教育機関と連携しながら尽力している。

次ページからは、ホール内部の見学ツアーの様子や『クリスマス・スペキュタクラー』に出演するダンサーの話を紹介していく。

 

家族で楽しめる冬の定番ショー。ロケッツの華やかなダンスは必見!

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