Page 14 - NY JAPION
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若者の日常チェック!若者Friday, May 26, 2017|Vol. 917|14 INTERVIEW彼らは日常をどうやって過ごしているのか。 仕事場、オフの姿を追う。4月8日にワシン トンDCで行われ た 桜 祭りのコンサ ート に 出 演 。 「初めてのDCは とても楽しかった です」と植村さん12植 村 花 菜 さ ん ■ 2 0 1 0 年「 ト イ レ の 神 様」で日本レコード大賞優秀作品賞と作 詩賞を受賞。同年NHK紅白歌合戦に 出場。16年から家族3人でブルックリン に在住。www.uemurakana.jp日本から持って 来た相棒のギタ ーと、歌詞を書く ために使ってい るパソコンは、曲 作りに欠かせな い休みの日は、い つも家族みんな でお出掛けす る。この日はセントラルパークで 楽しい時間を過 ごした1910推薦者のことばジャズトランペッター 黒田卓也さん共 通 の 知り合 い の つな がりで花菜ちゃんと出会 いました。初めて会った 時から信念が強く真っす ぐで凛とした方だと思いま した。いつも元気で周りを 明 る くし て く れ る 存 在 で す。今後の活動が楽しみ で、早く共演したいです!NYで奮闘する  若者に直撃インタビューニューヨークで奮闘する若者たち。 その新しい発想、夢に向かって走 る姿は私たちを常に刺激する。 今、輝いている若者に熱い思いを 語ってもらい、また上司からの応 援メッセージも聞く。植村花菜さん シンガーソングライターが一番可能性を感じまし た。移住前に当地で2回ラ イブをやった時も、お客さ んが、ご自身の気持ちや感 情で、良いものは良いと言 ってくれるのがすごく心地 良かったです。すぐにでも 来たかったのですが、デビュ ーして7年だったので、 周年まで日本で頑張ろう と決めて仕事を続けまし た。 ――大変だったことは?んのおかげだと思い出し、 方も同じで、明るく楽しく――2010年に「トイレの がいい」と言われて、「英語 神様」がヒットし、NHKの の歌詞で伝えたい」という 紅白歌合戦に出場。昨年 思いが芽生え、同時にアメ 月にご家族でブルックリン リカの文化にも興味が湧い  一方で、ニューヨークでい ろんな文化や言葉を学ぶ ことで、今までと違う曲が 書ける気がしています。英 語を勉強して英語の曲を 作るのが当面の目標で、英 語で書いた言葉が、どんな メロディーを歌ってくれる のか、今からすごく楽しみ です。に移住されましたね。て、翌年には2カ月間、ギ ターとスーツケースだけ持 って、アメリカ縦断の一人旅 をしました。  2011年に仕事で初 めてアメリカに来て、ナッシ ュビルのライブハウスで歌っ たのが移住を決心したきっ かけでした。その時お客さ んから「ここはアメリカな んだから、英語で歌った方  8歳の時に歌手になると決めて頑張ってきましたが、2009年、スランプに陥って曲が書けなくなり、 こからメロディーが生まれ その時人生で一度だけ、「向 る形に変わりました。歌詞 いてないのかも」と思いま とにらめっこしていると、言 した。その時は、「夢をここ 葉が歌ってくれます。言葉 で辞めるのか」と自問自答 にはそれ自体にメロディー しましたが、「音楽だけは があるので、歌い掛けてく 捨てられない」と気付きま れるのを待っています。 した。所属事務所の契約終 ――今後どのように変わっ 了も迫っていたので、最後 ていくでしょうか? に私にしか書けない曲を作   歳で曲を初めて作った ろう、それで今後の音楽人 時から、聴いた人がポジテ 生が変わると思いました。 ィブでハッピーになる、シン  行く先々でストリート ライブをしたり、飛び込み でライブハウスで歌ったり しましたが、ニューヨーク  「トイレの神様」をきっか けに、先に歌詞を作ってそ  その時、今の私があるの プルでスタンダードな音楽 は育ててくれたおばあちゃ 作りを続けています。生きそれを曲にしたのが「トイ レの神様」でした。たくさん の人が共感してくれました が、最初はなぜ他人が私と おばあちゃんの話に共感し てくれるのか分からなかっ たんです。でも人は生きて いく上で悲しみや喜びがあ り、私が自分の思っている ことを素直に書けば、みん な共感してくれると気がつ きました。 ――曲作りはどのように?生きていくのは何があって も変わりません。無理せず 流れのまま自然に暮らし たいです。


































































































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