レトロ作品 まったりレビュー

今週の1本 I Am Not Your Negro(邦題: 私はあなたのニグロではない)

映画監督・鈴木やすさんが、思い出の映画作品を、鑑賞当時の思い出を絡めてゆったり紹介します。


パンデミックの真っ只中、外に出ることもできず、仕事もリモート、ブルックリン区のアパートの中で家族と一日中顔をつきあわせていては気が狂いそうになるので、朝早くに起きて誰にも邪魔されない静かな一人の時間を持つルーティーンを作った。早朝午前5時に起きて顔を洗う。20分間の瞑想、簡単なヨガをした後、落ち着いた気持ちで豆を挽いてコーヒーを作り、弦楽四重奏を静かに流す。香ばしい香りと熱いコーヒーと音楽が少しずつ体に染みていく。すっきりと穏やかな気持ちで今日も一日乗り越えていこうと思いながらスマホを起動してニュースを読む。

「サンフランシスコでまたもや中国人の老人が押し倒されて死亡」、「ニューヨークの地下鉄で若いアジア人女性が線路に突き落とされて死亡」、「ハーレム地区で日本人ジャズピアニストが複数名に袋叩きに合い大怪我」。そして僕の穏やかな気持ちは吹き飛び、全身の血が煮えたぎるように怒りに震えているところへ家族が目覚めて起きてくる。「ダディー、なんで朝からそんなに怒っているの?」。そんな事が何日もあった。窓の外からはBlackLives Matterのシュプレヒコールが聞こえてくる。

母国を離れて米国に住むことを決めて30年以上が経ち、自分が暮らすこの国の社会の人種間の問題を真剣に考える。そして自分の娘と同じ年頃の米国の黒人の若者達のことを考えた。50歳を超えた自分でさえ同じアジア人達が意味もなく無差別に無慈悲に殺されていくニュースに落ち着いて対処することは難しい。黒人の若者達は同じアフリカ系の命が無慈悲に奪われていく、しかも多くはこの国の警察権力によって、そんなニュースを長きに渡って見続けなければいけない。それが若い心にどのような影響を与えるのか? 「自分なりに考えてきた」、「同じマイノリティー同士なので理解してきた」と思っていたのが間違っていた事に気づかされ、人種間の軋轢を超えたもっと根の深い問題がこの国にあることに初めて意識が向いた。

本当の質問

今回の映画は、1987年にこの世を去るまで、その人生の多くを著作と公民権運動の指導に捧げてきた作家、ジェームズ・ボールドウィンの未完成の原稿、Remember The Houseを基にしたドキュメンタリーだ。映画は彼の朋友で公民権運動を率いてきたメドガー・エバンズ、マルコムX、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとの思い出を振り返りながらこの国の人種差別を深く探究し、米国の歴史そのものについての考察をしていく。

1968年、白人のトークショーホストは番組の中で軽快(軽薄)な調子で彼に質問する。「米国の黒人は市長、プロスポーツ、政治家にテレビ俳優と社会での役割が大きくなってきているのに、なぜまだ不満なんですか?」。その質問に彼は率直に答える。「あなたの質問は鮮明に聞こえますが、そのような言語を人々が使う限り楽観視はできません。この国の黒人に何が起きているかではなく、この国で何が起きているのかというのが本当の質問なのです」。

40年後、米国初のアフリカ系大統領が誕生し二期8年に渡ってこの国をリードした。しかし米国は人種差別の問題を解決したと言えるのか? 共和党の大統領指名選を戦うニッキー・ヘイリー候補は「私たちが人種差別をする国であったことは一度もありません」と平然と言い放ち、多くの州では子供達に奴隷制度の歴史を教える事さえ法律で禁止し始めている。「この国の将来はどのように効果的に黒人の置かれている苦境に応えるかという事に直接関わっているのです」と映画の中で彼は熱く訴える。

今週の1本

I Am Not Your Negro(邦題: 私はあなたのニグロではない)

公開:2016年
監督:ラウル・ペック
音楽:アレクセイ・アイ
出演:サミュエル・L・ジャクソン(ナレーション)
配信:Tubi、Peacock、The Roku Channel 他

作家で公民権運動の指導者、ジェームズ・ボールドウィンの未完成原稿を基にしたドキュメンタリー映画

(予告はこちらから)

 

鈴木やす

映画監督、俳優。1991年来米。ダンサーとして活動後、「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」設立。短編映画「Radius Squared Times Heart」(2009年)で、マンハッタン映画祭の最優秀コメディー短編賞を受賞。短編映画「The Apologizers」(19年)は、クイーンズ国際映画祭の最優秀短編脚本賞を受賞。俳優としての出演作に、ドラマ「Daredevil」(15〜18年)、「The Blacklist」(13年〜)、映画「プッチーニ・フォー・ビギナーズ」(08年)など。現在は初の長編監督作品「The Apologizers」に向けて準備中。facebook.com/theapologizers

 

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