レトロ作品 まったりレビュー

今週の1本 Munich (邦題: ミュンヘン)

映画監督・鈴木やすさんが、思い出の映画作品を、鑑賞当時の思い出を絡めてゆったり紹介します。


移民の国、米国の多民族社会ニューヨークでは、ある職種に同じ民族の移民が多く集まって営まれることは知られている。警察官にはアイルランド系が多く、看護師にはフィリピン系が多く、街角のデリには韓国系が多く、ランドリーマットには中国系が多い。これは先に米国に来た、その国の移民の米国での成功が母国で伝えられ、後から来た移民とのコミュニティーができて続いていくからだ。すんなりと理解できる話である。しかし、これが永きに渡って母国を追われたが故に金融関連や宝石商を営みながら生きながらえてきたユダヤ系の話になると「ユダヤ人が世界の経済を影で操っている」とかの陰謀論になってしまう。

僕は大学で文化人類学と国際政治を学び、ゼミは中東の文化を専攻していた。その頃も「ユダヤ陰謀論」はまことしやかに流布していた。以前にも書いたがこれは世界最古のフェイクニュースであり、陰湿な人種差別だ。例えば「ハリウッド映画界はユダヤ人が牛耳っている」というが、コロンビア映画の親会社がソニーであるのに対して「ハリウッドは日本人が牛耳っている」とは誰も言わない。その陰謀論の裏には裕福な民族に対する妬みや嫉みが見え隠れする。陰口をしている人たちは経済通や社会正義と思い込み、人種差別の自覚すらない。

日本でもYouTubeでユダヤ陰謀論を解説する有識者のような人物のビデオが数多く出回っていて、残念ながら信じ込んでしまっている人が多い。今回のイスラエルとハマスとの間で起こった紛争に対するリアクションにも「ユダヤ人差別」が複雑に絡んでいるように思える。そしてお互いの政治的主張をSNSを使って弾圧していくという現代的な問題も孕んでいて、分断はますます進んでいってしまっている。

今回の映画は1972年のミュンヘン・オリンピックの開催中にパレスチナのテロリストグループ、「黒い九月」が起こしたイスラエル選手団襲撃、誘拐、殺害事件に対してイスラエル政府と諜報特務庁、モサドの工作員たちが事件を画策したパレスチナ側の首謀者たちを次々と暗殺していった事実に基づく物語で、原作になった著書もVengeance(復讐)」というタイトルではある。しかしこの映画はイスラエルの側に立ってテロへの復讐を描いた作品ではない。物語の中心は母国のために任務を託された若い工作員の苦悩、家族と離れ離れになる辛さ、仲間を失っていく悲しみ、暴力の連鎖に憤りを感じ、倫理観に揺らぎ、心的外傷後ストレス障害とパラノイアに苦しみ葛藤する心の模様を描いた作品である。

 

暴力の連鎖

 

この映画に登場するスパイはスマートなタキシードを着てマティーニを飲みながら人を殺していくイメージとはかけ離れている。敵とはいえ、家族への愛も母国への忠誠もある生身の人間の命を自分の手で奪っていくという事が、そして極限の状況の中で喜びや悲しみを分かち合った仲間たちが自分達の行ったと同じような残虐さで殺されていく事がどれだけ人間の心に重くのしかかっていくのか。それは任務が終わって平和な社会で家族の愛に囲まれていても消え去ってはいかない。

SNSで社会正義を叫ぶ前にその行動がどのような分断に発展していってそれが何万と膨らんでいった時どのような結果を及ぼすのかを考えて行動すべき時代だとは思いませんか。この映画は「暴力の連鎖に終わりはあるのか」という今私たちが真剣に考えるべき問題を深く問いかけている。

今週の1本

Munich

(邦題:ミュンヘン)

公開:2005年
監督:スティーブン・スピルバーグ
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:エリック・バナ、ダニエル・クレイグ
配信:You Tube、Apple Tv、他

イスラエルの若き諜報員が、チームを組んで11人の敵を次々と暗殺する任務を託される。

(予告はこちらから)

 

鈴木やす

映画監督、俳優。1991年来米。ダンサーとして活動後、「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」設立。短編映画「Radius Squared Times Heart」(2009年)で、マンハッタン映画祭の最優秀コメディー短編賞を受賞。短編映画「The Apologizers」(19年)は、クイーンズ国際映画祭の最優秀短編脚本賞を受賞。俳優としての出演作に、ドラマ「Daredevil」(15〜18年)、「The Blacklist」(13年〜)、映画「プッチーニ・フォー・ビギナーズ」(08年)など。現在は初の長編監督作品「The Apologizers」に向けて準備中。facebook.com/theapologizers

 

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