レトロ作品 まったりレビュー

今週の1本 Lust, Caution

映画監督・鈴木やすさんが、思い出の映画作品を、鑑賞当時の思い出を絡めてゆったり紹介します。


2012年のある日、俳優仲間から映画の撮影で監督が日本人の人材を探しているので、フェイスタイムで監督と話しをしてくれと頼まれた。子供が生まれたばかりの頃で目の回るような忙しさだったが、約束通りの時間にコンピューターを開けて待っていたら、画面の向こうにアン・リー監督が現れたのでひっくり返るぐらいに驚いた。アカデミー賞の監督賞とベルリン映画祭の金熊賞を2回も受賞した大監督のイメージからはかけ離れた、とてもにこやかで気さくなおじさんだった。「ライフ・オブ・パイ」の撮影ですぐにモントリオールのスタジオまで飛ぶことになった。諸々の事情で僕が撮影で何をしたかはここでは書けないが、映画制作者として貴重な体験をさせていただいた。

アン・リー監督の数ある名作の中から、今回はこの作品を選んだ。1938年、日中戦争の激化で中国本土から香港に渡った女子学生、チアチーは憧れの先輩ユイミンに抗日運動をテーマにした学生劇団員として勧誘される。初舞台に上がった興奮が冷めやらぬチアチーは誘われるままに実戦的な抗日運動に傾倒していき、劇団員たちはついに日本の傀儡(かいらい)政権である汪兆銘政権のもとで抗日組織を弾圧する特務機関の政府高官、ミスター・イーの暗殺計画を企てる。チアチーは、夫が貿易商を営むマイ夫人としてイー夫人に近づき、ミスター・イーを誘惑することに成功するが、ミスター・イーの鉄壁のガードと用心深さに阻まれて暗殺計画は失敗する。

42年、上海に戻り戦争のさらなる激化で荒廃していく故郷に胸を痛める彼女は国民党抗日組織のスパイになったユイミンとその上部から再びミスター・イーの暗殺計画の続行を持ち掛けられる。再度ミスター・イーに近づいたチアチーはミスター・イーとの激しい肉体関係を繰り返すようになる。暗殺者とその標的の二人はやがて抗うことのできない愛憎の波に流されてゆく。

NC─17

アメリカで公開される一般映画のレーティングのシステムで17歳以下禁止の 「NC─17」は、業界でキス・オブ・デスと呼ばれて、このレートを付けられると興行的な成功は見込めないとされている。アン・リー監督はアイリーン・チャン原作のタイトルにLust, 「色情、」と付いているので、激しいセックスのシーンで主人公の揺れ動く心の様を表現することにこだわった。公開時はこの激しいセックスシーンばかりが話題になったが、僕にとっては、戦争によって翻弄されてゆくやるせないほど悲しい男と女の愛の物語である。

この映画の後、激しいシーンを勇敢に演じた新人女優、タン・ウェイはしばらく中国映画業界から干されてしまった。しかし子供のような無邪気な表情から国家のために冷酷な男を翻弄させるフェロモンを妖艶に発する女のしたたかさを演じ切った彼女は素晴らしい。そしてクルミの殻のように冷徹で強固なペルソナから染み出るような愛の柔らかさ、ぬくもりを求めてしまう人間の弱さを演じたトニー・レオンも本当に素晴らしい。 アジアの大スターの貫禄を見せてくれた。そしてこの映画を興行収入よりも芸術表現を大切にして作り切ったアン・リー監督の勇気とブレない映画人魂には心から感動させられる。これは80年前の当時の世界情勢を舞台にした物語であるが 、軍事侵略、傀儡政権、虐殺に弾圧。人間は80年たった今でも国を替えて世界のどこかで同じ過ちを繰り返し続けている。我々人間は一体いつになったら目を覚ますのだろう。

 

 

 

 

今週の1本

Lust, Caution
(邦題: ラスト、コーション)

公開: 2007年
監督: アン・リー
音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:トニー・レオン、タン・ウェイ、ジョアン・チェン
配信: Apple TV, Amazon Prime

日中戦争下で香港に逃れていた女子大学生のチアチーは、抗日運動を掲げる学生劇団に入団するが、やがて劇団は実戦を伴う抗日活動へと傾斜してゆく……。

 

 

 

鈴木やす

映画監督、俳優。1991年来米。
ダンサーとして活動後、「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」設立。
短編映画「Radius Squared Times Heart」(2009年)で、マンハッタン映画祭の最優秀コメディー短編賞を受賞。
短編映画「The Apologizers」(19年)は、クイーンズ国際映画祭の最優秀短編脚本賞を受賞。
俳優としての出演作に、ドラマ「Daredevil」(15〜18年)、「The Blacklist」(13年〜)、映画「プッチーニ・フォー・ビギナーズ」(08年)など。
現在は初の長編監督作品「The Apologizers」に向けて準備中。
facebook.com/theapologizers

 

 

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