サミュエル・&#
困難に立ち向かい、今を全力で生きる日本人ビジネスパーソン。名刺交換しただけでは見えてこない、彼らの「仕事の流儀」を取材します。
ニューヨークを彩ってきた昔ながらの劇場と共に青春を過ごし、映画や劇場をモチーフにした“シアターペインティング”を続ける依田洋一朗さん。生後3カ月でニューヨークに移り住み、幼少期からミッドタウン53丁目界隈の映画館や劇場が近くにある環境で育つと、自然と映画の世界にのめり込むようになったという。
「僕の作品は1910〜40年代の古い映画の影響を多く受けています。特に、サイレントフィルムにはすごく夢中になりました。セリフが無いのに発声映画よりも強いパワーを持っているんですよね」。サイレント映画との出会いは依田さんの創作の原点なのだそう。
思い出の古き良きニューヨークの姿
フィラデルフィアの美術大学から帰省したある日、マンハッタンをバスで走っていると42丁目のタイムズスクエアに並ぶ劇場街に目を奪われた。「その瞬間、なんだか自分の本当の故郷に戻ってきたような懐かしい感覚がしたんです」と、依田さんは当時を振り返る。
それを機に「シアター・ペインティング・シリーズ」を本格的に始めることになるが、90年代のニューヨークでは老朽化した多くの劇場や建造物が取り壊しの対象となったことで、依田さんは思い出の詰まった劇場の姿を「絵画だけではなく映像にも残しておかなければ」と、ドキュメンタリー映像の制作に取り掛かることにした。
それからは、取り壊しになる前の劇場に忍び込んではカメラを回していたという依田さん。「変装して立ち入り禁止の場所にこっそり入ったりして。警備員に見つかった時の言い訳も慣れたもんです」と話す姿は清々しくもある。そうして完成したのが、ドキュメンタリー作品「42丁目、終焉(しゅうえん)の日々」だ。こうした古い劇場の内部を記録する活動は今や依田さんのライフワークとなっている。
また、2016年には生まれ故郷である香川の瀬戸内国際芸術祭に参加し、女木島(めぎじま)に映画館「女木島名画座」を創設。以来多くの映画ファンが訪れているそうだ。
記憶と共に創作を続けていく
ニューヨークを大きく変えたコロナ禍だが、2007年に決まったホテルペンシルバニアの取り壊しが再開したことにも、依田さんは無念の思いをにじませる。
「昔は立派だったペンステーションが改装されてしまったこともそうですが、クラシカルで美しい建物が取り壊されていくのは悲しいです。しかし時代の流れだから仕方ない。僕にできることはそれを絵や映像に残すことです」。
現在は、同ホテルの姿を記録する自身の2作目のドキュメンタリー完成に向け、現地に足を運んで撮影を続ける毎日だという。
そしてそんな創作活動の傍ら、メタルバンドのギターボーカルとしての顔も持つ依田さんは、「音楽活動もインスピレーション源として欠かせない」と話してくれた。すでに作曲した曲は50曲以上にも上るというからベテランの域だ。
「音楽がないと絵は描けないし、曲作りにも絵が影響しています。今度のアルバムはホテルペンシルベニアがテーマなんです」とほほ笑む依田さんは、今日もまた、記憶に残る古きニューヨークの姿に思いをはせて創作に励む。
依田洋一朗さん
画家
来米年: 1972年
出身地: 香川県
好きなもの・こと: メタルバンド活動
特技: ギター、作曲
ニューヨークで活動する美術家の両親のもと、香川県に生まれ、生後3カ月でニューヨークに移る。
ラガーディア高校、タイラー美術大学卒業。
2002年からメトロポリタン美術館の警備員を10年間勤める。
03年にドキュメンタリー作品「42丁目、終焉の日々」を発表。20年、香川県文化芸術選奨を受賞。
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