サミュエル・&#
異なるジャンルで活躍する当地の日本人が、不定期交代で等身大の思いをつづる連載。
2年ぶりにニューヨークシティーマラソンがフルで開催されましたので、応援に行ってまいりました。友人の旦那さまが毎年出てらっしゃるので、その応援です。大勢の仲間や家族で応援してからコリアンタウンで焼肉を食べてレースを頑張った人、応援を頑張った人を労うのが毎年の恒例です。去年はできませんでしたので、今年は格別です。
皆さんはフルマラソンと聞くと何を連想されますか。そして、挑戦したことがあったり、出場してみようと練習をしたことはありますか。僕は3度フルマラソンは完走していて、35キロの山上りレースの青梅マラソンも完走しています。今はだいぶ体重が増えてしまってランニングはサボり気味ですが、真剣に始めた30代の最初はランニングの練習とレースで、本当にスリムになりました。
失恋を忘れるがために
事のきっかけは失恋でした。32歳、その時はヘビースモーカーで一日にマルボロゴールドを1箱は吸っていました。お酒を飲むともう1箱。そんな僕は失恋をし、悲しさから抜け出せずにいた時にふと思い立ちました。
「禁煙をすれば、ニコチン欲しさが、失恋の苦しみを上回るのではないか」。予感は的中しました。ニコチン中毒の発作で見事、フラれたことは忘れて、毎日毎日、タバコのことばかり考えるようになりました。次にふと浮かんだのが、村上春樹さんのエッセーでした。同じく32歳くらいでタバコをやめ、マラソンを始めたと。これはやってみるしかない。
当時僕は後楽園の東京ドームの近所に住んでいたので、隣町の神田神保町にたくさんあるスポーツショップでジョギングシューズやらシャツ、パンツを買って走り始めました。後楽園は走る環境が整っていました。足や肺が走るのに慣れるまでは本郷の菊坂を上がって(かつて多くの文豪が住んでいたところです)、東大の周りをぐるぐる、下に降りて上野公園や不忍池をまたぐるぐる。数キロ走れるようになった頃、神田を抜けて皇居まで行き、5キロの皇居を走れるように毎日練習しました。
初めてのフルマラソンに挑戦
ジョギング、ランニングを始めて少しした頃、新宿を拠点にする雑誌社から新宿シティーマラソンの10キロの部門に出ないかと誘われました。編集部員と一緒に雑誌社のシャツを着て走る企画です。10キロ60分を目標に走り、なんとか達成できました。その折の打ち上げが転機でした。
北海道は札幌から来ていたレースチームの代表が落語ファンで、彼らが主催する豊平川市民マラソンにゲストランナーで出て、フルマラソンに挑戦しないかという誘いを受けたのです。しかもフルマラソンの直後に独演会も用意すると。いやいや、独演会はいらないのですが、と思いつつ引き受けてしまい、さらなる練習の日々が始まりました。毎日10キロ走り、週に何度かは15キロ。体重は減り、足首やふくらはぎが締まり、肺が健康になったように感じ、タバコをやめて数カ月、ランニングのおかげで失恋のことはすっかり忘れていました。
最初のフルマラソンは5時間15分で完走でした。スタート当初10分くらいはランナーが詰まって走れなかったので、もう少し早かったかもしれませんが、5時間は切れませんでした。そして、完走後の落語会は何の支障もなく終えました。
フルマラソンで使う体力と落語で使う体力はまるっきり違うというのが分かりましたが、何しろレースが終わってもビールが飲めないのがつらかった。
そんなわけでして、いまだにタイムや走力は梅以下なのですが、長距離のレースはとても好きです。20代の僕からすると、フルマラソンに挑戦したり、ニューヨークに住んだりと想像できない人生を歩んでおります。いつか僕もニューヨークシティーマラソンを完走したい、そう思ってまた練習します。
【次回予告】
次号は、柳家東三楼さんのエッセー第24回をお届けします。
柳家東三楼
(やなぎや・とうざぶろう)
東京都出身。
1999年に3代目・柳家権太楼に入門。
2014年3月に真打昇進、3代目・東三楼を襲名。
16年に第71回文化庁芸術祭新人賞を受賞。
19年夏よりクイーンズ在住。演出家、脚本家、俳優、大学教員(東亜大学芸術学部客員准教授)としても活動。
紋は丸に三つのくくり猿。出囃子は「靭(うつぼ)猿」。
現在、オンラインでの全米公演ツアーを敢行中。落語の無料オンラインレッスンあり、詳細はウェブサイトへ。
お知らせ
柳家東三楼の会 11月28日(日)開催!
東三楼さんは、28日(日)、E53ウェルネスで、落語会を開催します。午後3時〜(英語)、4時30分〜(日本語)の2公演です。
チケットは一般25ドル、同院カスタマーは20ドル。参加予約は、tozaburo.rsv@gmail.com宛にメールでご連絡ください。