ニューヨーク仕事人名鑑

ニューヨーク仕事人名鑑 #25 戸塚憲太郎さん

困難に立ち向かい、今を全力で生きる日本人ビジネスパーソン。名刺交換しただけでは見えてこない、彼らの「仕事の流儀」を取材します。

※これまでのビジネスインタビューのアーカイブは、nyjapion.comで読めます。


ソーホーにあるギャラリー「ナウヒア」の運営をはじめ、アートディレクターとして活躍する戸塚憲太郎さん。当地に拠点を置きながらも、日本にあるギャラリーや「ルミネ・ミーツ・アートプロジェクト」を手掛けるなど、ニューヨークと東京の2都市に跨ってアート業界をけん引し続けている。

今でこそアートディレクターとして活躍している戸塚さんだが、実はもともと自身も彫刻家を目指していたそう。

「彫刻家を目指したのもアートディレクターになったのも成り行きだったんです。本当に無計画でした」と笑う。

導かれるままにアートの世界へ

高校で進学校に通いつつも、絵が得意だったことから美大へ進学。そこで出会った鉄彫刻に魅了され、彫刻家への道を志すようになったという。卒業後1997年にニューヨークに来米してから30歳まで彫刻家を目指し活動するが、ファッションを取り扱うアッシュ・ペー・フランスに縁があって就職したことを機に日本へ帰国することを決心。

「きっと本物のアーティストなら、何があっても自分の作品作りを続けてしまうものなのでしょうが、僕はその時作品作りよりも安定した生活を選んだ。そこが分岐点だったんでしょうね」と振り返る。

当時はアパレルバイヤー向けの合同展示会を主催しながら、社内初のアート事業部も立ち上げた。表参道でのギャラリー開設やアートフェアを手掛け、奇しくも販売側としてアートの世界へ再び舞い戻ることになったのは必然だろう。

「日本はまだまだアート市場が小さく、若手作家がもっと気軽に作品を発表できる場を作りたかったんです」。顧客の共有はあまりない業界だが、戸塚さんはその常識を覆すように、他のギャラリーに声を掛けて小さなアートフェアを企画したり、ファッションやライフスタイルを入り口にしながらアートの敷居を下げる活動に尽力してきた。

2016年には念願のニューヨークへの再来米を果たし、引き続き携わる日本のギャラリーにニューヨークから作品を紹介するなど、双方向のアート交流を実現。

まさに運命に導かれるままにたどり着いた現在の職について、「作家だった時よりも、自分の言いたいことの声が届く範囲が広がったのは良かった事です」と戸塚さん。

アーティストに還元していく

19年にオープンした「ナウヒア」は開業3カ月余りで一時閉鎖を余儀なくされたが、現在は徐々に客足も戻ってきているそう。在住日本人クリエーターに向けて、カタログ制作や製作費を全てサポートしている理由を、「僕たちの仕事はアーティストあってこそ。彼らに還元していきたい」と戸塚さん。

コロナ前は、東京とニューヨークを年に6、7回も行き来し、「両都市に住んでる感覚だった」という中で、それでもやっぱりニューヨークが好きだそう。「“違い”が尊重されるというのは、アートにとっても子育てにおいても大切なこと。そんな場所で好きなアートの仕事をさせてもらえるのは、すごくぜいたくですよね」とほほ笑む戸塚さんは、これからもニューヨークと東京の街に素敵なアートを届け続けてくれるだろう。

 

 

 

 

戸塚憲太郎さん
「NowHere」ディレクター

来米年: 1997年、2016年(再来米)
出身地: 北海道
好きなもの・こと: 旅行
特技: 散髪

1974年、札幌生まれ。
武蔵野美大卒業後、97年に来米。
2004年に帰国後、アッシュ·ペー·フランス入社。
07年、表参道にhpgrp GALLERY TOKYOを開設。
16年に再びニューヨークに移り、19年、NowHereの立ち上げに参画。
20年、AWARE WORKS LLCを設立。
Instagram: @kentaro_totsuka

 

 

 

関連記事

NYジャピオン 最新号

Vol. 1244

オーェックしよ

コロナ禍で飲食店の入れ替わりが激しかったニューヨーク。パン屋においても新店が続々とオープンしている最近、こだわりのサワードウ生地のパンや個性的なクロワッサン、日本スタイルのサンドイッチなどが話題だ。今号では、2022年から今年にかけてオープンした注目のベーカリーを一挙紹介。

Vol. 1243

お引越し

新年度スタートの今頃から初夏にかけては帰国や転勤、子供の独立などさまざまな引越しが街中で繰り広げられる。一方で、米国での引越しには、遅延、破損などトラブルがつきもの、とも言われる。話題の米系業者への独占取材をはじめ、安心して引越しするための「すぐに役立つ」アドバイスや心得をまとめた。