今年9月にアラ&
異なるジャンルで活躍する当地の日本人が、不定期交代で等身大の思いをつづる連載。
「橋の上玉屋玉屋の声ばかり なぜか鍵屋と言わぬ情(錠)なし」。「たがや」という噺(はなし)に出る有名な文句です。何のことかわかった方は江戸文化にお詳しいですね。そうです、花火の季節がやってきます。
隅田川花火大会の記憶
僕は東京の中でも東の江東区亀戸というところで育ちました。東京の真ん中から隅田川を越えて少し行った所で、千葉県に入る少し手前です。江、すなわち隅田川の東の区、江東区です。
家は団地の4階で、毎年隅田川の花火大会は家のベランダとテレビの中継を見比べながら楽しめましたので、混雑する会場の近辺に行くということはありませんでした。浅草近辺に行くのはもう少し前の夜桜と四万六千日様のほおずき市の時で、ベランダから遠くに見える隅田川の花火を眺めながら浅草の江戸情緒を想像したものでした。
また、もう少し東に行くと荒川、江戸川とあり、大きな川に囲まれた環境にありましたので夏になり花火大会が各地で始まると、家族や友人と家や土手で蚊を追っ払いながら、首が痛くなるくらいに真上に上がる花火を味わいました。
前座修行時代の夏
前座になって毎日の修業ゆえ自由な時間が全くなくなりましたが、隅田川の花火大会だけは感じることができました。というのも、浅草演芸ホールの夜席に前座で入っていると、大きな花火が上がった時は客席や楽屋に音が少し聞こえるのです。そして、客席は昼席の熱気はどこへやら、ガランとしていて(せっかく浅草に来たら花火を見るでしょう)、高座の師匠も花火の盛り上がりと寄席の静けさをネタにして「たがや」に入るのでした。
7月に入ると前座は浴衣で楽屋にいるのを許されて、装いも涼しく、高座にかかる「たがや」を聴きながら、楽しむことは許されない夏を楽屋で感じるのです。二十代前半、友人は恋人とおしゃれな浴衣を着て花火大会、僕ら前座は落語協会の文字の入ったおそろいの浴衣で楽屋働き。寄席がはねて(終演して)から浅草の街に出て「素人は浴衣の着方が汚ねえな、それに比べて修業している俺達は奇麗に着物だって浴衣だって着られるんでい」とぶつぶつ言いながら居酒屋で安酒を飲んだ夜、僕はあの頃が青春だったとこの季節が来ると思い出します。
祝祭と希望を込めたNYの花火
ニューヨークでは成人のワクチン接種率70%を祝って市内10カ所で花火が上がりました。なんて粋で素敵で市民の心をつかむ演出でしょう。全米でも世界でも群を抜いて悲劇の大きかったニューヨークが、ニューヨーカーらしいものすごいスピードでワクチンでの集団免疫を獲得していき、花火をぶち上げてお祝いをする。コロナは終息するんだという宣言を視覚的に演出する感覚。
僕は今まで日本で情緒的に、夏の恒例として花火を見ていましたが、祝祭という意味、機能で花火を見たのは初めてでしたし、長いトンネルを抜けて呼吸をしたような爽快さを感じましたし、この花火は二度と見たくない、見られないものだとも思いました。
家のそばの鉄橋の上で近所の人とワクワクしながら金網と線路越しに花火を待つ間、通る電車に子供が手を振る、そして電車がブーと音で応えながら過ぎ去っていく、その電車の光に僕はこれからの正常に戻る世界や、アメリカや世界で落語をしていく希望を見ました。
失っていた光が帰ってくる。これが文字や観念の話ではなく、火花として、過ぎ去っていく電車の軌道として目に焼き付いて、それが感情にも明かりを差してくれる。すごいスピードで感染が広がった悲劇も、猛スピードで回復しどかーんと花火を上げる派手さも、ニューヨークらしくてますます愛着が湧きます。
浅草とニューヨーク。今後、光について考える時、僕はニューヨークの花火を思い出すでしょう。でも花火を見る時は、前座修業の酸っぱい記憶の浅草を思い出すでしょう。
【次回予告】
次号は、柳家東三楼さんのエッセー第11回をお届けします。
柳家東三楼
(やなぎや・とうざぶろう)
東京都出身。
1999年に三代目・柳家権太楼に入門。
2014年3月に真打昇進、三代目・東三楼を襲名した。
16年に第71回文化庁芸術祭新人賞を受賞。
19年夏よりクイーンズ在住。
演出家、脚本家、俳優、大学教員(東亜大学芸術学部客員准教授)としても活動。
紋は丸に三つのくくり猿。
出囃子は「靭(うつぼ)猿」。
現在、オンラインでの全米公演ツアーを敢行中。
落語の無料オンラインレッスンあり、詳細はウェブサイトへ。
zabu.site
お知らせ
全米落語協会、発足!
日本の落語を、世界の「RAKUGO」へ! 東三楼さんの取り組みがいよいよスタートします。
4月1日より、クラウドファンディングも開始。支援に興味がある人は、メール(us.rakugo@gmail.com)で東三楼さんにご連絡ください。