サミュエル・&#
異なるジャンルで活躍する当地の日本人が、不定期交代で等身大の思いをつづる連載。
「化け物使い」という落語は小言の多い主人が使用人にあれこれ言ったらみんな辞めちゃって、ついには化け物までって噺(はなし)です。演じたことはないのですが、そろそろ演じてみたいなと思っています。子供さんにも大人にもウケる、そんな噺じゃないかと思っています。ただその前に、ハロウィーン向けに絵本にしたいな、ということで少しずつ支度をしています。
と言いますのも、香川県の小豆島に妖怪画家の柳生忠平さんという友人がいて、これまで小豆島の彼が館長を務める妖怪美術館で暗闇の中の妖怪画の前で落語をするコラボをしたり、僕自身を妖怪画にしてもらったりと交流をする中で、妖怪と落語の絵本を作ろうとなったのがきっかけでした。
妖怪画家との出会い
彼との出会いは2017年の京都でした。三条会商店街にある友人のギャラリーに僕は居候しながら小説を書いていました。その時のギャラリーの招聘(しょうへい)アーティストが忠平さんで、寝床の長屋で共同生活をしながら酒を飲み、アートや人生の話をし、偶然同い年というのもあり、意気投合していきました。これまた偶然でしたが、その期間中、長屋が使えない日が5日ほどある時に小豆島の二十四の瞳映画村の脇のゲストハウスを取っていたのですが、忠平さんも同じく長屋が使えない時期でしたので小豆島でまた一緒になるという寸法でした。僕は宿を取る時に彼とは会っていませんでしたので、本当にこういう偶然のつながりってあるんだなと不思議に思いました。
その頃はほとんど東京の部屋にはいないで、着物とパソコンを持って各地を転々としていましたので、小豆島にもちょくちょく伺うことになりました。僕は海のある所では執筆がはかどるので、自分の劇団の台本を書いたり、小説を書いたり、ビザの書類のドラフトを作ったりと随分と仕事をしました。そして夜は忠平さんや島の人たちとお酒で交流する。小豆島おこもり生活は本当に楽しく、態度の良い尾崎放哉気取りで創作活動をご機嫌にしていました。小豆島や直島は今はアートで有名です。街のそこかしこにパブリックアートがあり、ニューヨークシティーに通じるような感性があるように思います。朝の霧がかった瀬戸内海や、ものすごく濃い闇が現れる夜の森は本当に妖怪が出るんじゃないかと夏でもひやっとします。
妖怪が見える世界
非日常を感じる旅
妖怪は見える人には本当に見えるそうです。京都のギャラリーでの忠平さんの展覧会の時に「見える」と言う方に会いました。その方は他の見える方と何度も同じ瞬間に同じ妖怪を見ていると言っていました。そして、忠平さんの描く妖怪の世界はまさに見える世界に似ているんだそう。
僕には全く見えない世界。幽霊の世界もそうですが、全く縁のない世界ですが、普段より妖怪を意識しているので心象風景の中に普通の人が見えない世界が生まれて、現実に投影できるのかなとも思います。悪魔はこの世に存在するかと問われて、人の心に悪魔がいる、と答えたことがありました。想像物がアートのフィルターを通されて、創造物として現れるのかなとも思います。暗闇で湿った所を通るとゾッとしたり、ひやっとしたりします。それはイマジネーションが脳を駆け抜けて、非日常の風景を描き、感じさせるのかもしれません。
小豆島への旅は二つの非日常を感じさせてくれます。旅そのものの非日常、そしてイマジネーションの非日常。その感触が僕の創作を刺激してくれるので仕事が進むのかもしれません。そう考えると、これから予定している全米ツアーでも、旅以上の何かを感じさせてくれる街が楽しみです。
ニューヨークは僕が最初に来た時に妖気を感じさせてくれました。それが移住にもつながった直感を産んだのだとも思います。その感情はいまだ僕の中にあるので、僕は今も旅の途中なのかもしれません。
【次回予告】
次号は、Akoさんのエッセー第3回をお届けします。
柳家東三楼
(やなぎや・とうざぶろう)
東京都出身。
1999年に三代目・柳家権太楼に入門。
2014年3月に真打昇進、三代目・東三楼を襲名した。
16年に第71回文化庁芸術祭新人賞を受賞。
19年夏よりクイーンズ在住。
演出家、脚本家、俳優、大学教員(東亜大学芸術学部客員准教授)としても活動。
紋は丸に三つのくくり猿。
出囃子は「靭(うつぼ)猿」。
現在、オンラインでの全米公演ツアーを敢行中。
落語の無料オンラインレッスンあり、詳細はウェブサイトへ。
zabu.site
お知らせ
全米落語協会、発足!
日本の落語を、世界の「RAKUGO」へ! 東三楼さんの取り組みがいよいよスタートします。
4月1日より、クラウドファンディングも開始。支援に興味がある人は、メール(us.rakugo@gmail.com)で東三楼さんにご連絡ください。