今年9月にアラ&
進化する試合放映
臨機応変さが大切
ニューヨーク市が経済再開され、世界的にも少しずつ慎重に再開に向けて動き出す中で、スポーツ界もドイツブンデスリーガが5月16日に、世界に先立ち再開しました。
ただし、観客は入れない「無観客試合」という中でのリーグ戦再開となりました。これは非常に寂しいことですが、徐々に戻ることを期待しつつ、他の国でも無観客試合でリーグ戦を再開しております。
バナー、歓声、CG、
方法はさまざま
無観客試合で行われるプロスポーツを、スタジアムで観戦できないとなると、テレビやインターネットで観戦するしかない。テレビに映し出される試合映像に、当たり前ながら観客が映っていないですし、歓声も聞こえません。
観ている人にとっても、これはまた寂しい上に、慣れるまで時間を要する、少々異様な光景です。
ブンデスリーガより遅れてリーグを再開したスペインのラ・リーガは、テレビゲームで使用されるバーチャル観客がテレビに映し出され、観客席をCGで埋め尽くして放映したり、テレビゲームで使用される歓声を放送に入れ込むなど、工夫をしました。各国リーグ毎に、さまざまな工夫が今後もされていくものと思われます。
その他、アメリカのメジャーリーグサッカー(MLS)は、スポンサーのロゴなどをバーチャル看板に掲出する方策を模索しています。試作品を拝見したのですが、「皆、本当に色々と考えるものだな」と感心すると同時に、テクノロジーの力にも圧倒されています。さらに、無観客試合でリーグが当面運営される中で、いろいろと今までの常識に囚われてはいけない事象も出てきています。
カメラ設置も
新たな視点で
まず「最初に確かにそうだな」と納得したのが、テレビなどの放送用カメラの設置位置の変更。
今までの常識では、観客席にいる観客の視覚を遮らないように、工夫された場所にテレビカメラは設置されてきました。しかし、これからは観客がいない空っぽのスタジアムなので、どこにカメラを設置しても構わないということになります。これからは、テレビでより面白いアングルからの試合映像を、楽しめるようになるものと思われます。
次に、ホームゲームのアドバンテージの低下です。今までは、ホーム(本拠地)で試合をする方が自分のチームを応援するファンが圧倒的に多く、ホームチームが勝利するために有利というのが定説でしたが、観客がいないため、ホームでもアウェーでも、優位性が薄まることになります(もちろん、遠征に伴う移動などの不便さは、アウェーチームにかかりますが…)。
実際、ブンデスリーガではここまでホームチームが勝利したのは18・5%しかなく、今までの常識から考えると、結果に少し驚いています。
無観客に慣れる選手、
慣れない選手
また、観客からのプレッシャーに萎縮してしまう選手にとっては伸び伸びと試合ができるようになり、今まで聞いたことがない選手の台頭が見られるだろうといわれています。
例えば、FCバルセロナでは順応できなかったブラジル代表のコウチーニョ選手が、このような無観客試合であればネイマール選手の代わりを務め上げ、放出されることもなかったかもしれません。
逆もまた然りで、観客の前では普段以上の力を出す選手は、トレーニングと同様に張り合いがなくなってしまい、並の選手に成り下がってしまう可能性も出てきます。これに即して、メンタル面のことに配慮をしたトレーニングメソッドも開発されることが急務となっていきます。
このように、未知との遭遇はこれからもいろいろと出てくることが予想され、その都度反発するのではなく、逆にスムーズに順応できるチームが、他のチームと差を広げていくことになるのだろうなと感じます。
これはスポーツに限ったことではなく、我々の生活においても同様なのではないかと考えると、自分も、柔軟な発想をこれからも持ち続けていきたいと思います。
<今週の用語解説>
トレーニングメソッド
トレーニングメソッドとは、合理的戦略とプロセスの集合体で、人が人に何かを教授するために用いられる方法。サッカーでたとえると、「パスの技術力を伸ばしたい」と考えたときに、頭の中にトレーニング理論と、プロセスを思い描くことが出来なければならない。プレーシチュエーションでは、大きく二つ、そこからさらに三つ(アナリティック、グローバル、システミック)のメソッドが派生している。技術・戦術・メンタル・フィジカル・社会関係性の5つのレーンを同時に組み込むトレーニングは昨今、世界のトレンドになっているという。
中村武彦
マサチューセッツ大学アマースト校スポーツマネジメント修士取得、2004年、MLS国際部入社。
08年アジア市場総責任者就任、パンパシフィック選手権設立。
09年FCバルセロナ国際部ディレクター就任。
ISDE法科大学院国際スポーツ法修了。FIFAマッチエージェント。
リードオフ・スポーツ・マーケティングGMを経て、15年ブルー・ユナイテッド社創設。