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T.I.C.グループ代表の八木秀峰さんが念願のアメリカの地を踏んだのは、今から51年前のことだった。
4歳で父親を病気で亡くし、母親に女手一つで育てられた。志願して少年自衛隊に入隊、1年遅れで銚子市立高校にも入学。卒業後は英語科のある東京の大学に進む予定だったが、試験当日に受験に遅れ、大学進学の道が閉ざされてしまった。「じゃあ英語圏の国に行く」と、アメリカ行きを決めた。
1968年、現金500ドルを握って横浜から船に乗り、サンフランシスコからフィラデルフィアに到着。市内の黒人街でガソリンスタンドの店員や皿洗い、バーテンダーなどをやった後、ボストン近郊のマーサズヴィニヤード島で、焼き鳥店「ミスター・テリヤキ」を始めた。そこで得た利益をもとにトラックを買い、ニューヨークに移動して青果店を開始。野の注文を取って回りながら、24時間営業のダイナーをオープンした。「それが、私の歴史で最初となるレストランでした」と八木さんは振り返る。
そして84年、イーストビレッジに手頃なビルを購入し、江戸前すし店「波崎」をオープン。当時は治安が悪く廃墟だらけの地区だったが、「これから必ず日本食が伸びる」という先見の明があった。その読み通り、どんどん客は増え続けた。その後「しゃぶ辰」「でしべる」「酒蔵」「蕎麦屋」などを開店。その勢いは現在もとどまることがない。日本食文化の普及のため、理事も務める「五絆協会」から毎年ニューヨークのシェフを金沢に送る活動も行う。
「『そんなにいろいろやらないで、ひとつだけやれば』とよく人に言われるんですが、時代に合った日本の食べ物を世界に紹介したくて、いろんなことをやっています」
これからは、外国で料理を学んで腕を磨いた日本の若者に、ニューヨークで独自の食文化を発信し、一緒に盛り上げていきたいと期待している。
そんな八木さんも71歳だが、時代を先取りした斬新なアイデアを出し、実現していく行動力は衰えを知らない。
「『我後悔せず』という宮本武蔵の言葉があります。自分が責任を持ってやっていれば後悔しない、という意味で、私の座右の銘です」
現在も1日おきにジムのプールで30分泳ぎ、さまざまな地域を気ままに旅して、世界中の人と交流することを楽しんでいる。
「山に登ったら必ず降りてこなくちゃならない。でも、登頂に成功して降りて来る時、人は達成感と安心感から注意力を失い、けがをする。ビジネスも同じで、浮き沈みがある中で下がったその時に、立ち直る強い精神力を鍛えておくことが大切。失敗を恐れていたら成功はないので、自分がやりたいことは、どんどん実現して欲しい」
八木秀峰(やぎ・しゅうほう)
茨城県生まれ。1968年来米。
ニューヨークで24時間営業の店や八百屋を営み、
84年にイーストビレッジに江戸前すし店「波崎」を開店。
現在「酒蔵」「しゃぶ辰」「茶菴」「蕎麦屋」「咖喱屋」など、和食16店舗を経営。
2017年、農林水産省から日本食海外普及功労者表彰を受けた。
tic-nyc.com
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