Page 9 - NY Japion
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09|Vol. 921|Friday, June 23, 2017 AREA INFO進め!NY道R316世界中から人が集まるニューヨークには長い発 展の歴史と物語がある。芸術家と酔っ払いが王 様だった1960〜 年代のソーホー。シリーズ 最終回は、生き証人が当時の思い出を語る。など朝飯前。広大な制作現 子さん夫妻。アカデミー賞 場を壁や中二階で仕切って 候補映画「キューティー& 生活空間を作るのが定石 ボクサー」に登場したリア だった。いわゆる「ロフト」ス ルなソーホー暮らし。今で タイルの誕生である。 も語り出すと止まらない。  裸電球一つの倉庫で床は 穴だらけ、ネズミが走り回 る劣悪な環境。居住禁止の 商業ビルだからガスがな く、台所は全部電化。なぜ かメーターがなく請求書 も来なかった。「ある日、電 気会社が一帯の電気の検針 を始めたの。うちなんか一 月300ドルぐらい使って いて、それを過去にさかのロフトの誕生目をつけたのは芸術家たち だった。家賃は激安で天井 が高く、日当たり抜群のス ペースは、巨大な現代絵画 や彫刻を作るのには最適な アトリエになる。手先が器 用な彼らにとって内装工事  ジェーン・ジェイコブらの 住民運動が高速道路の建 設を中止に追い込んだその 頃、空き家と化したキャス トアイアンの工場や倉庫に  1970〜 年代、ソー 一緒になった 年には、イラ ら、泥酔した路上生活者が ホーを活動拠点とした日 ストレーターが1人、その 流れて来てロフトの入り口 本人芸術家が、篠原有司男 ビルの荷物用エレベーター でごろ寝していたと言う。先日、買い物の 帰り道...運悪く坂道で動き出し私もカートを持っていたので 追いついたので良かったけどサチコ私のカートが 郵便配達の 三角カートに 当たってしまい  ジャスパー・ジョーンズ、  「(最初の)ロフトの家賃ドナルド・ジャッドら現代 美術家をはじめ、一時20 0 0 00人以上の芸術家がこ のエリアで活動。レオ・キャ ステリ、OKハリスなど地 域の画廊も名を上げ、「ソ ーホー」の呼び名が定着す ると同時に、「芸術の街」の 同義語になった。はサブレットで ドルだったね。月だよ、もちろん。広さは1500s f。生活のために日本からの貧乏画学生を居候に置いてね。1人1日1ドル取っていた」。 ぼって請求すると言われ大 数回転居の後、ハワードス 慌て。数千ドル分を分割で トリート 番地の3階に 払ったわ」と乃り子さん。 落ち着いた際には、家賃は   当時のソーホーは、街灯 月260ドル。少しはマシ も少なく、酒場もわずか3 かと思いきや、乃り子さん 軒。むしろ、酔っ払いの巣窟 曰く。「私がギュウちゃんと で悪名高かったバワリーか日本人芸術家の壮絶ライフさん(ギュウちゃん)と乃りの中に住んでいたわよ」。  「眼鏡をかけたインテリ 風の『教授』とか、小道具の 松葉杖と血だらけの包帯 姿で同情を引く演技派の追いかけられず...『王様』とか個性的な酔っ 払いが多かったなあ」  お金なんか関係ない。生 活費を削っても絵を描きた い。思い切り自由だったソ ーホーで極限までアートを 追求した篠原夫妻。廃屋の 街からアートの力で蘇生 したのに、今や全米一不動 産が高いといわれるソーホ ーには、未練も羨望(せん ぼう)も全くない。配達人が猛ダッシュで すごくあせりました...   (中村英雄)「衝突事故?」高嶋リカあ~!! カートが!!篠原一家のロフトがあったのはハワードストリート25番 地の3階。今は大家(故人)の息子の事務所がある写真提供: 篠原乃り子ソーホー時代の篠原夫妻。情熱あふれる制作活動と厳 しい生活が隣り合わせの時代だった1986年にソーホーを脱出。以後、ブルックリンのロフト で活動する篠原一家。息子アレックスもアーティストだ8073読者からのストーリーを募集!自分のニューヨーク体験をマンガにして もらいたい人はreader@nyjapion.comまで。©AOZORA ART257080


































































































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