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09|Vol. 890|Friday, November 11 , 2016 AREA INFO進め!NY道R28617 世界中から人が集まるニューヨークには長い発 展の歴史と物語がある。この街の変遷を1カ所 にフォーカスして紹介。今週は、ルーズベルト島に代の遺産が、今の地下鉄F線ルーズベルト島駅から少し北、メーンストリート沿いにある一軒家「ブラックウェル・ハウス」だ。島がブラックウェル島に改名された1796年築。島内六つの史跡指定建造物の一つで、 その名誉に泥を塗ることにたという。投獄されること もなく、その後は(当時の) ホグアイランドの自宅で隠 居生活を送った。島を取り 上げられなかったのが不思 議だが、当時それほどの価 値もなかったということだ ろう。あるブラックウェル・ハウスの逸話を一席。 英国国王から褒美とし てもらったはずの島だった が、マニング大佐はすぐに ら英国に米国の植民権が 移った際、英国軍ニューヨ ーク指揮官だったジョン・マ ニング大佐に、(当時の)ホ グアイランド(現ルーズベ ルト島)が英国国王から譲渡された。以来1796年 に島名がブラックウェル島 になり、1828年に市が 買い取るまで、マニング大 佐の子孫が島を所有して きた。スタテン島から攻めてくる オランダ軍にさっさと降伏 してしまったのだ。ブラックウェル・ハウスを建 て、島名にも自分の名を冠 したわけだが、同時にその 頃から島を売りたくて必死 だったというのが実情だ。世紀後半、オランダか そのブラックウェル島時で裁判にかけられる。極刑 直前で処刑免れた大佐 判決が下り、半裸で両手首 に鎖をかけられ公衆銃刑 著書「The Other Islands というその直前、刑を免れ ブラックウェル・ハウス自 体も一度売ったにもかかわ らず、買い手が住宅ローン を払えず、2年後には結局 ブラックウェル家に所有権 が戻ってしまう。島といい、 家といい、持ち主に疎まれ た、悲しい過去がある。7トレインの サニーサイドに 住んでいます。 アジア系のレストランも7が 丁目ハドソンヤードまで 延長されてから毎週金曜日の チェルシーのギャラリー 巡りをするのにすごく 便利になりました。へえ〜この週末は ジャビッツセンターで テクノロジーアーツの フェアがあるんだ...マーケットもあって 住みやすいです。りえ・アーティストここも ハドソンから すぐ近くだから 行ってみようかな...NYCの地下鉄は変更 多くて困りますよね...ニューヨーク市内で6番目に古い家屋だ。質素なコロニアルスタイルの木造家屋には、マニング家と島の、実はあまり誇れない過去が埋もれている。輝かしい歴史を誇る史跡が多い中、その逆を行くあたりが、ルーズベルト島らしくて親しみが持てるというものだ。 すると、大佐は降伏した罪of NYC」(シャロン・セイツ &スチュアート・ミラー著) は、マニング家と島の歴史 を次のように記録する。なる。1673年、英国と 大佐の死後、島の所有権 オランダは再び領地を巡っ を引き継いだのが義理の娘 て戦争中。このときマンハッ で、その婿の名がブラックウ タンの南端フォート・ジョー ェル。その息子で、大佐の孫 ジを指揮していた大佐は、 ジェイコブ(血縁はない)が 2年後に英国軍が勝利 そうこうするうちに 世紀に入ると、ニューヨー ク市の人口が膨れ、犯罪が 増え、伝染病もまん延とい う時代に入る。市が刑務所 建設のために目を付けたの がイーストリバーの島々 で、この島はその第1号だせっかく行こうかと 思ったのに...った。ブラックウェル家は、 やっと島を市に売ることが できたわけだ。(佐々木香奈)「便利...なのかなあ?」高嶋リカ34ManhattanEast Riverルーズベルト島34読者からのストーリーを募集!自分のニューヨーク体験をマンガにして もらいたい人はreader@nyjapion.comまで。©AOZORA ARTQueensブラックウェル・ハウスは「503 Main St., New York, NY 10044」。地下鉄駅の北、メーンストリート東側1796年築のブラックウェル・ハウスの前庭に立つ看 板。「1972年から歴史的建造物」と明記されている19ブラックウェル•ハウス トラム 地下鉄F

