Page 34 - NY Japion
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1917年の独立記念日、T・ルーズベルト元大統領が「100%アメリカ 人」演説を行ったLIRRフォレストヒルズ駅5、6階建てのレンガ塀の住宅ビルは、1950年代の住宅ブームで建てら れたもの。これはフォレストヒルズのクイーンズブルバード北側の住宅群現在のクイーンズブルバード。1960年代後半から70年代前半には、 この上空に低所得者住宅建設への反対バナーが翻った7839 6412 30607026 0917Friday, March 25, 2016|Vol. 857|34 AREA STORY 世界中から人が集まるニューヨークには長い 発展の歴史と物語がある。この街の変遷を、 1カ所にフォーカスし、数回にわたって紹介 する「NYいまむかし」。T・ルーズベルト元大住居ビル建設ラッシュームをもたらした。 実は、その地域発展と平 和な生活が脅かされる「事 フォレストヒルズの発展 にテニスが一役買ったと前 回書いたが、1917年7 月4日の独立記念日、セオ ドア・ルーズベルト元大統 領(第 代大統領、任期1 901― 年)が、フォレス トヒルズを訪れて演説を行 ったのも、あながちテニス と無縁ではないという説が ある...。し、健康を害していたため ほとんどの依頼は断ってい たという。そのルーズベル トが、フォレストヒルズか らの招待にだけ「うん」と 言ったのだ。これには主催 側であるフォレストヒル ズ・ガーデンズ関係者も驚 いた。なぜ?演説を打った。 背景を補足するなら、折安価な運賃で往復できる った。このとき、市と住民の ようになり、不動産開発ブ 間に入りフォレストヒルズ ームの引き金となった。 を救ったのが、若き弁護士T・ルーズベルト元大統領 テニスクラブの会員だったアメリカ〜フォレストヒル ズ」(ニコラス・ハーション 著、アーケーディア出版)に よると、その理由に、ルーズ ベルトの親しい友人がフォ レストヒルズ・ガーデンズ 住民だったからという説を 挙げている。そしてもう一つ の有力説が、ルーズベルト人〞であるべき」と主張した のだった。この演説は全米 に報道され、歴史に残る言 葉となった。 「わが街に貧乏なマイノ リティーはお断り」という、 住民による差別意識は否 めないが、「プロジェクト」を 遠ざけたい気持ちは理解で きる。今のフォレストヒルズ があるのも、このときのク オモの采配があったからこ そと言える。(佐々木香奈) 当時ルーズベルトの人気 は絶大で、特に独立記念日 には全米至る所から演説 依頼が殺到していた。しか このルーズベルトの訪問 が、フォレストヒルズという コミュニティーに箔(はく) を付けたのはいうまでもな い。 著書「イメージズ・オブ・ なく、〝100%アメリカ記念昼食会の席で、ジョー ジ・ハービー・クイーンズ区 長が、「これでクイーンズブ ルバードは将来〝クイーン ズのパークアベニュー〞にな る」と大演説を打ったこと が語り継がれている。お世 辞にも実現したとはいえな いが、それでもその年を境 に、クイーンズブルバード 沿いは各種店舗やレストラ ン、住宅開発が目白押し。 その後 年、 年の2回に わたるフラッシングメドウ ズでの世界万博は、フォレ ストヒルズ周辺にその後数ヨーク州知事)だった。建設 自体は避けられなかったも のの、低所得者用住宅の規 模を当初の半分にまで縮小 し、さらには入居者のほと んどを高齢者と退役軍人 に絞った。の趣味がテニスだったこと。 地下鉄延長と世界万博十年にわたる住宅開発ブ 大統領時代、ルーズベルトは毎日のように午後の短い時間、ホワイトハウスのテニスコートで練習していたともいわれ、フォレストヒルズにかの「ウェストサイド・テニスクラブ」(1915― 年のUSオープン開催会場)が移転すると、 ソンハイツから、フォレスト 密かに会員になっていたの ヒルズ、そしてキューガー だ。演説場所は、そのテニ デンズまで延長された。 スクラブからも歩いて2、 3年後にフラッシングメしも1914年第一次世 界大戦が勃発。 年といえ ばアメリカがドイツに宣戦 布告した年だ。ドイツ系住 民も多かったフォレストヒ ルズで、ルーズベルトは「米 国民は、複数の愛国心を操 る〝外国系アメリカ人〞では 余談だが、開通式の日、 マリオ・クオモ(後のニュー 1936年 月 日。フ ィオレロ・ラガーディア市長 の時代、マンハッタンとクイ ーンズをつなぐ地下鉄路線件」が、 年代後半から 年代初頭にかけて起こって いる。ジョン・リンゼー市長 が、市内から〝貧民街〞を一 掃するため、裕福な白人中 流階級コミュニティーに、低 所得者を移住させる政策を 提案。その第一弾として、フ ォレストヒルズ北端一帯に、 低所得者専用住宅(プロジ「インディペンデント・サブ ウェー・システム」が、ジャク3分の、ロングアイランド鉄道フォレストヒルズ駅前広場。駅舎の階段に星条旗の垂れ幕が施され、ルーズベルトはそこで、あの有名な「100%アメリカ人」 った。マンハッタンとの間を、 ド上空には反対バナーが翻ドウズで開催される世界万 博に向けての交通インフラ の整備だったが、フォレスト ヒルズへの長期的ベネフィッ トは計り知れないものがあェクトと呼ばれるもの)を建てると言い出したからだ。 主にユダヤ系住民が大反 対し、クイーンズブルバー