今年9月にアラ&
ニュージャージー州ニューアークはポルトガルからの移民とその子孫が多く暮らしていることで有名だ。今週は日本人の舌にも合うポルトガルの味を探訪、併せてリトルポルトガルの成り立ちにも迫る。(文・取材/加藤麻美)
WTCから電車で30分 異国情緒にひたる旅へ
交易で得た香辛料を多用、素材の味を生かして調理
フランス料理や地中海料理の影響を強く受けながら、15世紀半ばから17世紀にかけての「大航海時代」の交易で得た東インドやアフリカ、アメリカ大陸原産の多種多様な香辛料を多用するのがポルトガル料理の特徴。漁業が盛んなポルトガルは魚介類の消費量が多く、一人当たりの魚消費量がヨーロッパで最も多い。世界でもトップ4に入るほどだ。中でもバカリャウ(干したタラ)は消費量が多く、365通りの調理法があるといわれている。
魚介類の調理法は、直火で焼く、炒める、揚げる、煮込む、蒸すなど。どれもオリーブオイルをベースに使い、いたってシンプル。サーディン(イワシ)などは軽く塩を振って焼いて食べる。
肉料理で代表的なものには、トリッパ(豚や牛の内臓)と白インゲン豆の煮込みや、子豚の丸焼き(サックリングピッグ)などがある。ソーセージやサラミ、生ハムもポルトガル独自の調理法や味付け、保存方法があり、目玉焼きやフライドポテトを添えて朝食にしたり、サンドイッチにはさんだりワインと一緒につまむ。
1950〜60年代、港湾での仕事を求めて移民
ニューアークのリトルポルトガルは、ニューアーク・ペン駅とダウンタウンの真東、川の南と西に位置する「アイアンバウンド」と呼ばれるエリア。線路と主要道路に囲まれていることが名前の由来だ。同地は19世紀半ばから金属加工の一大生産地として栄え、工業化の波に乗ってドイツやアイルランドから、続いてポーランドとイタリアから移民が押し寄せた。
ニュージャージー州における最初期のポルトガル移民の痕跡は1725年。19世紀半ばの国勢調査でも小規模の移民が確認されている。移民法の改正で年間の受け入れ枠が飛躍的に増えた1959年には2万1000人が入国。その多くが新しく拡張されたニューアーク港での仕事に惹かれてこの地に定住したという。
現在の主な住民は、ポルトガル、スペイン、ポルトガル語を話すブラジルなど中南米からの移民とその子孫。「日曜の午後にはバーが満員となり、人々は愛するサッカーチーム、ベンフィカの衛星中継を見守る。 ここではポルトガル語だけで十分やっていける。 自動車管理局で手続きをするのに必要なだけの英語を理解して、20年間ここに住んでいる人もいるのだ」とニューヨークタイムズの記事にあるように、目抜き通りであるフェリーストリートを歩くと、まるで異国にいるかのような錯覚を覚える。
*ニュージャージー州エセックス郡のポルトガル系住民は1万3729人(2022年)。ポルトガル系の子孫または移民であると自認する人の数は全米で約130万人。
*毎年6月8日から3日間開催される「ポルトガル・デー・フェスティバル」には30万人以上の人々が訪れる。
もう一つのリトルポルトガル、SOHO
ソーホー地区のサリバンストリートやブルームストリート周辺は、第二次世界大戦後にポルトガル人が移り住み、現在も多くのポルトガル系住民が暮らしている。2006年にポルトガルから同地区に移住したアナ・ベンチュラ・ミランダさんは2011年、ポルトガル文化の振興を目的にアルテインスティテュートを設立。ポルトガルのアートや音楽をテーマにしたストリートフェスティバルを毎年7月に開催している。また16年には、ここで暮らすポルトガル系移民の人生に焦点を当てたドキュメンタリー映画『Portuguese from SoHo(ソーホーのポルトガル人)』も製作。同作品はMoMAをはじめ26カ国で上映された。その一部をアルテインスティテュートのフェイスブック(右QRコード)上で公開している。
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