2018/06/22発行 ジャピオン972号掲載記事


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ニューヨークに残る独立戦争の跡

 ニューヨーク攻防戦に先立って英国軍はスタテン島に早々と上陸し、攻撃の機会をうかがっていた。そして、独立宣言から1カ月半後の8月22日に、マンハッタから10マイル離れた、現在べラサノ橋が架かる辺りから、ロングアイランドに上陸。そこに駐屯していた大陸軍を大きく背後から回って猛撃する。

戦場プロスペクトパーク

 戦いの場所になったのが今のプロスペクトパーク辺り。日本の古戦場とは大分様子が違うが、森の中を兵士が進軍した跡がバトルパスの名で残っている。英国軍は総勢3万2000人。ドイツの雇い兵も加え圧倒的多数で有利だった。

 一方の大陸軍は、メリーランドからの義勇軍の力を借りて必死に攻撃に歯止めをかける。その「踏ん張り」場所となったのがオールドストーンハウス。攻防戦の中心となった石造りの農家が復元されて、今もパークスロープの住宅地に建つ。ここでメリーランド隊が奮起したおかげで、ワシントンは時間稼ぎができ、ブルックリンに駐留していた9000の兵力を、一夜にしてほぼ無傷でマンハッタンに撤退できた。

ハーレムハイツ攻防戦

 劣勢の大陸軍は、マンハッタンの北に追いやられ、9月16日にはハーレムハイツの攻防戦が起きる。大陸軍1800人対英国軍5000人。圧倒的形勢不利なるも、アグレッシブに戦って陣地は守り抜いた。独立宣言後のワシントン初勝利で大陸軍は多少、自信を取り戻した。この時、ワシントンが軍勢を指揮した作戦本部が5週間置かれたのが、モリス=ジュメル邸(1765年建築)。

 高台に建つ豪邸からはハドソン、ハーレム両川が見渡せ、絶好の戦略拠点だった。同邸は、現在史跡として一般公開されており、ワシントンの作戦室も当時のままに保存されている。ワシントンは大統領に就任後の90年7月にこの家を再訪しており、妻マーサ、副大統領ジョン・アダムス、初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンら閣僚と夕食会を開いている。同邸では、来たる7月8日(日)、独立当時の雰囲気と料理を再現した特別ディナーを一般向けに開催するそうだ。たまには思いっきりコスプレして、こんな独立祝に参加するのも面白いかもしれない。

 ハーレムハイツの勝利に酔ったのもつかの間、その後、大陸軍はホワイトプレーンズ、ワシントン砦と二つの戦いに連敗し、ついにニューヨークを完全に英国軍に明け渡す。モリス=ジュメル邸もあえなく英国の接収下に。

 ニュージャージー、ペンシルバべアへとじわじわ追われる大陸軍は、76年のクリスマスにトレントンから厳冬のデラウエア川を渡ってドイツの雇い兵部隊を攻撃。

 これが弾みとなり、大きな挽回に入るも、78年に入るとフランスが米国と和親条約を結んだため戦局は国際戦と化し、広大な地域に及ぶ5年間の長い戦争が始まる。戦死者の数は定かでないが、大陸軍だけで2万5000人といわれる。米仏連合軍が英国軍を負かした81年のヨークタウン(バージニア)の戦いで、ようやく米国の勝利が決定的になり。83年に終戦を迎える。

大統領宣言

 同年11月25日、ワシントンはかつて自らが司令本部を置いたこともあるフラウンセーズ・タバーンで部下の士官たちと別れの晩さんを共にする。そして同年末、彼は米国陸軍最高司令官の職を辞任したが、6年後に同じニューヨークで初代米国大統領に就任する。

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