2018/06/22発行 ジャピオン972号掲載記事

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ニューヨークの
独立戦争

 米国の独立戦争とは1775年から83年まで続いた、米国沿岸英国領植民地13州と英国本国との間の戦争を指す。

 原因は、55年から63年に新大陸で英仏間に起こった「フレンチ・インディアン戦争」の戦費回収のため、イギリスが取った植民地への課税強化。これに対して植民地側が猛反対した。有名なボストン茶会事件(73年)をはじめ、各地で暴動が起こり、民兵の軍隊が組織される。

住民の不満が爆発
マサチューセッツ州

 特に民衆の不満が強かったのはマサチューセッツ州だ。75年4月には同州レキシントンとコンコードで英国軍と植民地の革命軍の戦闘が勃発。これが独立戦争の開戦契機となる。

 同年7月にはジョージ・ワシントンを総司令官にして正規の革命軍=大陸軍が発足。英米の戦いは本格的になり、ボストンに撤退したウィリアム・ハウ将軍率いる英国軍と、それを包囲した大陸軍のにらみ合いが長期化する。翌73年に高地に設置した大砲で優勢となった大陸軍は、英国軍を敗退させ、ボストンでは1勝を手にする。

 余勢をかったワシントンは約2万人の大陸軍をニューヨークに移動。既に経済と貿易の拠点だった植民地最大都市の防衛を図る。ボストンでは「攻め」の戦略が奏功したが、今度は「守り」。野球ではないが攻守交代。その大陸軍を攻撃、ニューヨークを奪還すべく、英国軍ハウ将軍は強力な海軍兵力3万2000人を投入する。76年のニューヨークは、大合戦の予感が充満していた。

 そんな渦中の7月4日。米国独立宣言が公布される。間違ってはならない。これで米国が独立したわけではなく、「独立するぞ!」という意思表明に他ならない。ここから独立戦争が本番に突入するのである。既に本国から4500人の兵員を送り込んでいた英国だが、それでも足りず、さらにドイツ・ヘッセン方伯領から雇ったプロの傭兵が加勢。外地における国際戦争という図式は現代と何も変わるところがない。

戦争の分かれ道
ニューヨーク

 ワシントン将軍自らが読み上げる独立宣言で戦意高揚する大陸軍は、マンハッタンとロングアイランドに1万人ずつ別れてニューヨーク防衛に臨むわけだが、所詮は民兵上がりで制服や武器すら十分にない「反乱分子」。ニューヨークから始まった「新生母国」を守る戦いでは、大変な辛酸をなめる羽目となる。

 ブルックリンやハーレムの普段は気にもとめない場所に、独立戦争「第2回戦」敗退の足跡が残る。

 一方、83年の戦争集結後、晴れて米国が独立を獲得すると、同じニューヨークにワシントンが凱旋する。そして初代大統領となり宣誓したのもこの街だ。その後、数年間はニューヨークが首都であり、議会も大統領官邸も置かれた。新国家独立の明るい歴史はここで作られた。

 そのため、ニューヨークには今も、ワシントンにまつわる史跡が数多く残る。大陸軍司令本部を置いたフラウンセーズ・タバーンの2階は、博物館としてゆかりの品々を展示している(3ページでも紹介)。

 今回はそうした独立戦争の「明暗」両面からニューヨークを紹介し、今年242歳になる米国の素顔を浮かび上がらせる。

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大陸軍司令本部が置かれたフラウンセーズ・タバーンは1719年の建築。現在、2階は博物館

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独立戦争当時、ワシントンらが会議を開いていたロングルーム

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展示品の中にはワシントン直筆の手紙も

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ニューヨーク周辺での戦闘を描いた絵画も多く展示

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