2016/04/22発行 ジャピオン861号掲載記事

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フラッシングの中心部。約2.2平方キロメートルのエリアに2万5000人が暮らす


1785年に建てられた農場主の私邸キングズランド・ホームステッド。現在、博物館として一般公開されている


1970年代以降から増加するアジア人移民。中でも多数派は中国系

知られざるフラッシングの歴史
始まりはクエーカーから

舗道に買い物客がひしめき、建設中の高層ビルが目を引くフラッシングだが、活気の原動力は意外な過去にあるようだ。クイーンズ歴史協会の学芸員リチャード・フーラハンさんに話を聞いた。

自由平等主義のルーツ

Qフラッシングの成立はかなり古いそうですね。

 17世紀の半ばにオランダ人が開拓したのが始まりです。でも実際に定住したのはイギリス人でした。中でも、本国で迫害を受けていたクエーカー教徒が多かったんです。

Qクエーカー教徒とは?

 キリスト教の一宗派ですが、聖書も十字架も使わず内省的で質素な生活態度と平和主義を信条としています。教会にありがちな権威主義と真っ向から対立したため、しばしば敵視されました。そのクエーカーがオランダ植民地政府との闘いの末、権利を勝ち取ったのがここフラッシングなのです。ニューヨーク州で最初のミーティングハウス(集会所。教会とは呼ばない)もこの地に建てられました。

 彼らは真面目な開拓民でした。特に農産物の育種に熱心で、アメリカ初の種苗(しゅびょう)所を作り、世界中から集めた栽培植物を育成、改良して、全米各地に送っていました。

Q自由でのどかな農村風景が目に浮かびます。

 1810年代にはアイルランド系、40年代にはドイツ系の移民が入ってきましたが、それでも人口は周辺を合わせても5000人足らずでした。早くから奴隷制廃止運動の拠点となり19世紀になるとフラッシングは南部の農場から逃げてきた黒人奴隷たちの受け皿になります。ここで奴隷たちをかくまった後、彼らの経済基盤を作る手助けをしたのです。

Q自由を愛する土地柄が黒人たちの避難所を作ったわけですね。

 そうです。65年の南北戦争終結後、工業化が進み、鉄道が敷かれるとマンハッタンとの往来が盛んになり、村は町に発展します。特に1927年の地下鉄7番線駅の開業で、辺りのアパート造成に拍車が掛かり、不動産ブームが起こりました。

アジア化の先駆けは日本人

Q大きな社会変化は戦後に起きたのですか?

 はい。現在、メーンストリート駅前の大きな駐車場がある場所にはかつてアフリカ系アメリカ人の街がありました。60年代に、市は再開発の名目でそれをつぶして住民を低所得者用アパートに押し込んだのです。結果、住宅地にアフリカ系アメリカ人が増え「不動産価格が暴落する」との噂がたち、瞬く間に白人たちが家を売って郊外に飛散しました。その空白を埋めるようにしてアジア系の移民が入ってきたのです。

Q最初は中国系ですか?

 いいえ。日本人でした。ちょうど高度経済成長期で日本の駐在員が住み始めたのがアジア化のきっかけです。安い家賃に目を付けたのでしょう。日本の食料品店もできて、わざわざマンハッタンから買いに来る人もいました。

 そんなリトルジャパンを核にして、70年代には台湾人、韓国人が集まります。80年代に入ると北京語を話す中国本土からの移民が流入して、マンハッタン(広東人が中心)に対抗するような形で、今のフラッシングが完成したのです。


お話を聞いた人
リチャード・フーラハン
クイーンズ歴史協会学芸員。同協会が主宰するさまざまな展覧会のキュレーションを担当。自ら足で歩いて住民の声に耳を傾けながらクイーンズの史実を集めている。


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