2019/01/04発行 ジャピオン1000号掲載記事

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1000-Anniversary_Tobira

創業者に聞く
ジャピオンのこれまでとこれから

テロで感じた情報の重み

Q どんな思いで創刊したのでしょうか。
 ニューヨークで学生をしていた1990年代前半、主流の邦字情報誌は有料だったため、「日本語の情報がもっと簡単に手に入れば、生活が楽しめるのに」と日々感じていました。

例えば、日本人が経営するおいしいレストランができても、その情報は主に口コミで広がっていました。コミュニティー内でもっとお金が回るようになれば、ニューヨークを目指す日本人も増えると見込み、その役に立ちたいと思って創刊しました。

Q 始めてまもなく米同時多発テロが起きました。
 あの時は異常でした。当時オフィスはソーホーにあり、テロの影響で立ち入れなくなりました。

当時ロックフェラーセンターにあった紀伊國屋書店へ商談に行くと、店の前にに人だかりができていたんですね。100人はいたかな。のぞくと、通信社のニュースが載ったファックスが外に張り出されていて、食い入るように見ていたんです。皆が不安で情報を欲していた。その光景を目にした時、「週刊誌の自分たちが何もできていない」と自責の念に駆られました。すぐ編集者に連絡して「今何が起こっているのかを伝えよう」と相談し、数日後「同時多発テロの全貌」と特集を組みました。

Q 反響は。
 記事を読んだ方から感謝の言葉をたくさんいただきました。「状況がよく分かった」、「復旧のめどが分かるだけでも安心した」と。情報の大切さと責任の重さを感じました。

環境激変、改革必要

Q 昨年発行責任者に戻りました。なぜですか。
 ジャピオンの紙面改革に取り組むためです。約10年、発行・編集から離れていた間、ネットやITが大きく変わりましたが、対応しきれていない。

Q 街も変化しましたか。
 とても変わった感じます。初めて学生で来た当時のマンハッタンは、まだビジネスパーソンとアーティストが同居できていた。しかし今、そういう場所は一切なくなってしまったと感じています。特にここ10年で土地が高騰して住めなくなったのです。

その分、ブルックリンなどに人が流れ、日本人コミュニティーも分散しました。発信する情報も当初はマンハッタンが中心でしたが、今後は一層、読者の住む地域を意識して載せていかないといけない。

飲食店なども、中国人などより多様なお客さんに来てほしいというニーズがより鮮明になってきました。そうした状況変化に応じ、プロモーションしていけるよう、多言語化も図っていきます。

ジャピオンを踏み台に

Q 19年はどんな年に。
 一つ一つ目の前のことに着実に取り組む、これに尽きますが、紙とウェブ、各媒体の利点を切り分けて考えています。特にウェブを含めたデジタルメディアは大改革をしようと思っています。どう商売するかが大きなテーマとなってくる。

「初心に帰る」ということだと思います。「過ごし方で困っている」、「こんな情報が欲しい」といった人たちのお手伝いをしたいという、創業理念は変わりません。

夢や目標を持って頑張る日本人のため、ジャピオンは踏み台になりたいんです。ニューヨークで日本らしい生活をするためのお手伝いではなく、ここにいるからこその楽しみ方をお伝えする、そんな情報誌を目指し続けます。

Q お世話になっている方々へのメッセージを。
 配布場所まで遠路取りに行ったり、「ファンです」と言ったりしてくださる読者の皆さまの存在が励みになっています。また、ここまで支えてくださった広告主の皆さま、本当にそのおかげでやってこられました。そして創刊から今までジャピオンを作ってくれたスタッフ、関係者に心から感謝しています。

1000-Anniversary_Tobira

 

1000-Anniversary_Shintani

新谷哲士(しんたに・てつじ)■ハンターカレッジ卒。1996年、リクルート入社。2001年4月、「TrendPotNY」設立、「NYジャピオン」創刊。三重県出身。


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