2019/03/29発行 ジャピオン1011号掲載記事

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ニューヨークに生きる日本人に、この地で感じたこと、暮らすためのコツを、ジャズピアニストの大江千里さんと、シンガーソングライターのKa-Na(植村花菜)さんに聞いた。


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大江千里
「ブルックリンの一部になった」シンガーソングライターとして日本で成功を収めた大江千里さん。ジャズを学ぶために、意を決して、ニューヨークに移り住んだのは47歳のとき。それから10年以上が過ぎ、今、ジャズピアニストとしてニューヨークを拠点に音楽活動を続けている。大江さんにニューヨークでサバイバルしていくヒントを聞いた。

―ニューヨークでの暮らしが長くなりましたね。

11年です。2008年に留学した当初は大学(ニュースクール)に近い13丁目辺り、今はブルックリンに住んでいます。ブルックリンは、街にメロウな雰囲気があって、人も優しくて気に入っています。ブルックリンに移って以来、8年、同じアパートに住み続けているんです。ニューヨークは古い建物が多いから、うちも例外ではなく、あっちを直せば、こっちが壊れるみたいなことはありますけど、何よりも音楽にフレンドリーで、僕も犬も住み慣れて居心地が良いんです。

―住まいにブルックリンを選んだ理由は?

一つは当時のルームメートが国に帰るので、自分も部屋を出ないといけない事情がありました。もう一つはもっとピアノの練習をするために一人暮らしをしたいと考えていました。ただマンハッタンは家賃が高過ぎる。それで今のアパートを見つけました。当時は、アーティストが多い場所だとか、全然知らなかった。むしろ、マンハッタンから「都落ち」した、という気持ちもあって、「刺激が少なそうな場所で大丈夫かな」と思っていました。でも住み始めてみると、マンハッタンから少し距離があることで、アパートに帰るまでの間に気持ちがリセットできるし、アーティストがたくさん住んでいるから、街の中にいろいろなアートがあるし、音楽もあるし、おいしいピザ屋もある。マンハッタンよりもオーセンティックな商店やレストランが個人経営で存在しているのが面白いと思いました。

―ニューヨークに来たばかりのころに戸惑ったことは?

実は本格的に住み始める前、1990年代の4年間ぐらい頻繁に行ったり来たりしていました。だから実際に住み始めたときには、すでに戸惑いというほどの戸惑いはなかったです。強いて挙げると、抜歯の際に受けた全身麻酔が思いのほか強かったみたいで、帰り道、地下鉄のプラットホームでフラフラして、歩けなくなったことがありました。フラフラしながら、確かに「僕はもう大丈夫だ」という書類にサインをしたと思い出して、「なるほど。責任の所在をはっきりさせる場所だよな」と改めて思い知らされたことは印象に残っています。

90年代に僕が来ていたころは、ジュリアーニ(*)が市長になる前で、街がまだザワザワしていました。でも、留学のために2008年に来たときは、すでに街がきれいになっていた。もちろん、アメリカだから安全な所はどこにもないのかもしれないけど、その急激な変化に、東京より安全なんじゃないかと思ったぐらい。90年代は街を歩いていると、車のワイパーとかタイヤを盗んでいる人がいたり、歩いているとぶつかってきて、「これ壊れたから弁償しろ」と言われたり、路上で突然ワインをかけられたりということもある時代でしたからね。そういう犯罪が減るのはいいことだけれども、住みやすくなった分、何かが欠けてしまった感触がありました。

とはいえ、住み始めてみれば、やっぱり大きい街に特有の排他的な雰囲気は残っているし、ふと狭い通りに足を踏み入れると、混とんとした、文化が混ざり合っている感じは保ち続けているなと思いました。そして世界から来た人たちが、自分たちの文化を守り続けようとしている雰囲気も、相変わらずで、それが街に深みを与えているなとも思って、面白いところは変わってないと少し安心しました。

―ニューヨークの生活で気に入っているところは?

年齢、性別、職業に関係なく人と話ができること。知らない人とでも意外に深いことまで話ができたりするのが楽しい。その日に、たまたま地下鉄で乗り合わせた人との3分、5分の会話が1日のハイライトだったりね。どっから来て、どこへ行くということはあまり尋ねない。そのときどきのモーメントを楽しむというか。こっちも、そっちも、何日、何年住んでいようが同じニューヨーカー。ここで会って、面白い、楽しい話ができたらお互いハッピーになる。さらにインスタとかでつながって連絡を取り合うようになったり。たまたま話した人から、「娘にピアノを教えてくれないか」「うちでコンサートをやらないか」と言われたり。この間も、そういうつながりから生まれた仕事をアップステートの街でやってきました。いろんなつながりから仕事が生まれます。だから僕にとって、住むこと、曲を作ること、歯を磨くこと、犬のエサを用意すること、すべてが生きるための肥やしになるというか、ここまでが仕事、ここからが生活というふうに分ける感覚はないです。

 

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―いつごろからそう感じるようになったのですか?ここ2年ぐらいですかね。僕自身がブルックリンの一部になって、地図に刻まれた感じがするようになりました(笑)。

仕事でミネアポリスに行ったりして「中西部いいなあ、住みたいなあ」と触発され、そういう思いを膨らませてJFK国際空港からアパートに戻って来る。到着してすぐは、周りが雑然としているし、いろんなにおいがするし、「こんなところかあ」って思うんですけど、散歩して、近所でメキシコ料理かなんかを食べるころになると、「あー、ここが一番いいな」って思う。普段いるとあまり感じないけど、そうやってアメリカのいろいろなところでライブをやって帰ってくると、「ここが好きだ」と特に感じますね。近所のカフェのスタッフもちゃんと名前を覚えてくれていて、「ハイ、センリ。あなたの犬のピースは元気?」って声を掛けてくれて。でも、こっちは、ナタリー? ジェニファーだったっけ、みたいな(笑)。そういう日常が楽しい。

―10年以上暮らして時代の変化は感じますか?

いろいろなことが変わる時期を過ごしているんだなと思ったことがありました。僕はCDのビジネスをやっているから、工場に連絡したんです。そうしたら、「もうCDの時代じゃないから、私は弁護士になった。だから何かあったときは、弁護するから、頑張れ」って言われました。「でも俺が必要なのはCD工場なんだ!」っていう(笑)。

―千里さんが感じるブルックリンの良さはどこですか?

古い工場、ビール醸造所、ワイナリー、ハンドメード、いろんなものがサステイナブルなところが好き。ものを大切にして、みんながつながっていて、誰かに親切にすると、いつか自分にも返ってくるような。規則だけがすべてじゃない、正義だけが正しいわけじゃなくて、文化もいろいろなことが混とんとして、ただ影の部分もないと光もより鮮やかに見えてこないということを、みんな分かっている。ただ移り変わりが早くて、「いいな、このグラフィティ」と思っても、気付いたら新しい作品に変わっている。アメリカの食べ物も慣れると楽しい。ポーランド、インド、メキシコ、韓国、四川、イスラエル…。

―そうした環境が与える音楽へのインスピレーションは?

街に出れば、いろんな音楽があふれていますね。家で曲を作っていても、近所でバーベキューをやってる連中がいたら、メキシコ、プエルトリコ、コロンビア、アフリカとか、いろんな音楽をかけて楽しんでいる。そうやって日常でも音楽が聴こえてくる。そうすると、自分は自分のルーツがあって、アメリカのジャズだけを踏襲しなくてもいんだな、と思えるようになりました。僕も関西で生まれて育ったというルーツを大事にしてやっていけばいいんだなと自然に思わせてくれます。「こうでなくちゃいけない」「こうあるべき」という公式とかルールはありつつも、それ以外の何が起こるのかが重要だという意識。例えば、今日のリハーサルも、これまでやってきたことが覆されて、全く違う曲を新曲にする可能性がある。そういうワクワク感が常にあるね。

 

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―ニューヨークで生き残っていくためのアドバイスはありますか?

つながりたい人や行きたい場所のクリアなイメージを持って、そこから逆算して、それをするには、今何をやればいいのか、どこに行って、何に時間をかければいいのか、ということを考えて行動するのがとても重要だと思います。僕はこっちで大学を卒業してからずっとそうやってます。ギャラは多くないけど重要な仕事、次に行くために絶対にやりがいがある仕事を見抜く力が必要。でも生活していかなきゃいけないし、家賃を払わなきゃいけないから、別のことに時間を使ってしまいがち。もちろん、それを否定はしないし、うまくバランスが取れればいいのですが、人間ってやっぱりフィジカルに影響を受ける生き物だと思うので、ものを作る時間がなくなっていく。ものを作るのを仕事にしている人間は、1000%の自分のテンスを持って作ったもので、最初の小さなドアを開けていくのだと思っています。僕自身は何か別のことをやりながらそれができない。

それで生活をしていけるのか、という不安もあるけど、逆に「どうなるんだろう」って思う部分から、新しいワクワクが生まれる。そして進むためには「ホープ」が鍵になる。僕のホープは、絶対前より良くなる、僕の音楽はアメリカにいる世界から来ている人が好きになってくれるはず、共感してくれるはず、という具体的なイメージです。

あとはウジウジ悩まないことかな。ダメだったら、今はこれじゃないから、こだわらずに次に行く。それは出来事でも人でも同じ。常に選択肢は
一つじゃないですからね。僕はフットワークをジグザクにして、常に視点をずらすことを意識する。そうすると、いろいろなことが見えてきます。ジャズにこだわっている部分もあるけど、音楽ができて、自分の価値観を信じて生きていけて、ハッピーを感じて、好きな人とつながる世界観がある。あいまいな価値観の中で、人と比べて、「ここじゃないどこかへ」って考えるのは禅問答。だって今日で地球が終わるかもしれない。だったら何を食べたい? 何やりたい? って考えて今日を生きて、それを明日、あさっても同じようにする。でも、それだけじゃつまらないから、半年後、1年後どうなっていたいか考える。

「ジャズはこうあるべき」「あなたは歌うべき」とかいわれるけど、僕は、僕自身のジャズの形を作ればいいと思っています。「これってジャズなの?」っていう不思議な形でも、「いいのいいの。『千里ジャズ』で。それを好きな人を増やせばいいんだから」っていう。

(*編集注)ルドルフ・ジュリアーニ=第112代ニューヨーク市長(在任期間: 1994〜2001年)。マフィア、警官の汚職取り締まりを徹底し、市内の犯罪率を半減させた実績を持つ。

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大江千里
ジャズピアニスト。大阪府出身。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。数々のヒットを放つ一方で、渡辺美里らに楽曲を提供。2008年にジャズピアニストを目指し来米。昨年5枚目のジャズアルバム「Boys & Girls」をリリースした。
peaceneverdie.com





Ka-Na(植村花菜)
「取り戻した本当の時間の余裕」

一人旅でアメリカを横断。各都市では飛び込みで音楽演奏をして、温かく迎えてくれるアメリカの懐の深さを感じた。その旅の終着点だった、ニューヨークの街にみせられ、ここに住みたいと思った。あれから7年、今、憧れた場所に住んでいる。だが、ここまで順調だったわけではない。ニューヨークでの困難をいかに乗り越えたのかを聞いた。 

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―ニューヨークに住んでどのぐらいですか?

2年と少したちました。ようやく慣れた感じがします(笑)。

来る前からニューヨークでは、あれもこれもやりたいというのがすごくいっぱいありました。

でも実際に暮らし始めてみると、特に息子が小さい時に私がいないことをすごく嫌がったので、夜にどこかに出掛けようとしても、なかなか出て行けないことが多くありました。主人も息子も日本人だから、自宅で英語を話す機会もなくて、息子を公園に連れて行ったら、アメリカ人のママたちもいるけれど、私は英語が話せないし…。とにかく、いろいろ焦っていました。

―ニューヨークに来たタイミングは何か意味があったのですか?

本当は、2012年にアメリカを一人旅したときに、すぐにでもニューヨークに引っ越したいと思っていました。事務所にもレコード会社にも相談しましたが、そのときはありがたいことにとめられて、こんなに仕事がいっぱいあるのだから、まだ日本で頑張ったら、ということになって。応援してくれるファン、スタッフの皆さんへの恩返しの気持ちも込めて、デビュー10周年までは頑張ろうと決めました。2016年に10周年に関連した活動を終えて、仕事に一区切りついて、恩返しもできたと思って、16年末に念願かない引っ越して来ました。

―来る前にはどんな生活を想像していたのですか?

毎日ライブに行って、毎日英語をしゃべって、3カ月ぐらいしたらペラペラになるかなぐらいに思っていました(笑)。思えばすごく甘いですよね。実際に来てからは、とにかく時間がなくて、やりたかったことがまったくできず焦りました。

自分の時間を作るために、子供を学校に通わせようと思って、主人がネットで調べてくれるんですけど、学校の情報ってあまりネットに出ていないんですよ。それで口コミの情報が必要だと分かっても、相談できる友達もいない。親が近くにて、子供の面倒を見てくれた日本の方が楽だったなと思ってしまって、何のためにここに住んでいるんだろうと、考えれば考えるほど焦ってしまって。それでも、自分なりに一生懸命やっていたら、ある日、耳が聞こえなくなったんです。

 

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―それは一大事ですね。

そこで初めて、落ち着いて、自分にとって何がストレスになっているのかを考えました。自分が望んでニューヨークに来て、自分がやりたくて選んでやっていることなのに、一体何に対してストレスを持っているのかと。出た答えが「やり過ぎている」ということでした。

息子が赤ちゃんだったときも、毎日時間がないと思っていたのですが、今思えば、わりと時間があったなと気付きました。当時、英語の勉強もできなくて、いっぱいいっぱいでしたが、今より時間があったはず。ならばなぜ時間がないと思っていたのか考えました。さらに、子供が1人でも大変なのに、2人目を持ったときどうなるんだろうと。2人目が生まれたとしたら、私は今と同じように、「子供が1人のときは時間があったな」と思うんだろうと。逆に考えると、今、私は時間があるんだと思いました。ならば、なぜ今、時間がないと感じているのかと考えて、「いろいろやり過ぎていた」のだと。

―ニューヨークでやりたいことがあり過ぎたと?

英語も勉強したい、自分のライブ活動もしたい、音楽も聴きに行きたい、ミュージカルも見に行きたい、ジャズも聴きたい、あれもこれも、やりたいことを全部ちょっとずつやっていました。ならばやりたいことトップ10を書き出して、トップ3だけやることに決め、4位以下は今は一切やらないことにしました。そうやって決めたら、本当に心に余裕が生まれ、時間ができた。時間は自分で作るものなのだと、最初の半年で学びました。苦しみましたが、いいことに気付けたと思います。耳もすっかり聞こえるようになりました(笑)。その経験をもとに、「Time」という曲も作りました。

―そのとき決めたトップ3は?

子育て、英語の勉強、音楽活動です。


―最初の気付きから、かなり生活は変化したんですね。はい。最初に、時間について気付けたことは大きかったです。また来米当初は、地下鉄はすぐ止まる、バスは遅れる、店員さんは態度が悪い、駅にはエレベーター、エスカレーターがない、トイレがないスタバがあるとか、日本では考えられないことに対して、次から次へと衝撃を受けていました。そういう経験をして許容範囲が広がったというか、日本にずっといたら、時間通りに電車が来ないとイライラしていたんだろうなと思います。

時間通りに来ないなんて、最初はひどいなと思っていました。でもあるとき、逆に、これって時間に縛られないことなのではないかと気付きました。日本だと、すべてが時間通りに進むから、間に合うように走ったり、自分がそれに合わせる。こっちでは、来た電車に乗ればよくて、ある意味でゆとりがあります。細かいことは気にしない。それも一長一短あるとは思いますが、何もかもきっちりしなくていいんだなという感覚は、こっちに住んでいるから身に付いたものだと思います。暮らしていくうちに、どこに何があるか分かったのも大きいですね。

 

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―今の課題はどんなことですか?

言葉を扱う仕事なので、英語はまだまだ全然足りないと感じています。

スーパーに行って、これとこれは何が違うのか、これはどこにあるのかという会話はできます。でも、ライブのときのMCでは、ライブに来てくださるお客さんに、もっと説明したり、伝えたいことがある。なのに、自分の英語力が足りなくて、すごく簡単な言葉になってしまう。完全なネイティブになることは、難しいと思うけど、もっと自分が伝えたいことを伝えられるようにしたいです。

また、私は先に歌詞を作って、その言葉が持つメロディーを曲にします。歌詞とメロディーが、もうこれしかないというぐらいぴったりくるものを作りたいし、そうなると相当な語彙(ごい)力が必要です。

日常会話ができるだけではとても歌詞は書けない。それは仕事として、自分のセンス、細かい問題になってくるので、人には任せられないですね。だから、もっと深い会話の練習はしたいですね。今は週1回、ランゲージエクスチェンジで英語を話す機会を作っています。

友達も増えました。アメリカ人も日本人も、ママ同士だから友達になったというよりも、自然に友達になっていますね。必要な情報って、自分でも探しますが、必要なときに、必要な人から入ってくるものだと思っています。

―以前お話を聞いたときに、ニューヨークで暮らす中で、曲が全く違うものになるかも、とおっしゃっていましたが、実際はいかがですか?

先日リリースしたEPには全編英詞の曲も入っています。言葉は言葉自体にメロディーがあり、いい歌詞だと、にらめっこしているだけで、「私はこういうメロディーですよ」って、歌い掛けてくれるんです。英語の曲も詞から作っていますが、英語の持っている抑揚、言葉の区切り方、言葉数、文法は日本語とは違うから、英語から生まれてくるメロディーと日本語から生まれてくるメロディーは当然違います。英語でないと出てこないメロディーは新しい発見でした。最初は自分でできるかなと思いましたが、英語の歌詞が歌ってくれたので、こういうメロディーなんだなと。曲の作り方としては同じですね。

「ハピネス」という曲に関しては、朝の日本語放送のテレビ番組のテーマソングとして作りました。日本人向けではあるけど、アメリカ人も聴くから、どちらが聴いても、どんな人が聴いても楽しい歌にしたいと思って、サビを英語にして、Aメロ、Bメロは日本語に、ということは意識的に作りました。

この曲は新しい発見がいっぱいあって面白かったです。試行錯誤した結果、日本語からしか生まれてこないメロディーが必ずあって、そこにしかない美しさがあることにも気付いて、それは唯一無二の形として日本以外でも通用するはずだと思いました。私はそれがやりたいんだと思いました。

英語は、自分の思いを伝える手段として使います。日本語と英語をミックスした曲を作って、日本語の部分はどういう意味なんだろう、日本語独特の響きも美しいな、というように、日本語に興味を持ってもらって、もっとJ-popの文化を世界でも広げていける活動をしていきたいなと思っています。

―これから来る人、苦労している人にアドバイスを

私も、まだたった2年で、試行錯誤して悩みながら進んでいる立場なのですが、単純に思ったのは「気にしないのが一番」ということ。

来たばかりで、「気にしなくても、英語なんてそのうちしゃべれるようになるよ」なんていわれてもね、私もそうでしたが、「そんなわけにはいかないんだよ!」って思ってしまうから、言いづらいですけど(笑)。英語がしゃべれないこと、環境に慣れていないこと、それを気にすることがモチベーションになるならいいけど、頑張り過ぎて体調を崩さないようにしてほしいです。

どんな環境にいても楽しむ気持ちを忘れたらもったいない。人の目を気にして生活する必要もないし、せっかくニューヨークにいるんだから、とにかく楽しもうと。やりたいことをやる。恋愛、仕事でも何でも、楽しいと思えないならば、無理してやらなくていいと思うんです。

人は人、自分は自分でいいと思う。

 

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Ka-Na
2010年「トイレの神様」で日本レコード大賞優秀作品賞、作詩賞受賞。同年HNK紅白歌合戦に出場。16年から家族3人でブルックリンに在住。今年1月、EP「Happiness」をリリース。これを機に、アーティスト名を植村花菜からKa-Naに改名。
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