2016/12/09発行 ジャピオン894号掲載記事

地酒を世界に届け20年
クラモトUSの歩み
 1996年、日本各地の13の蔵元が参加し、地酒を世界に伝えるために海外への輸出、販売を手掛ける「クラモトUS」を設立した。設立メンバーである山口県の山縣本店の山縣俊郎社長、鳥取県の千代むすび酒造株式会社の岡空晴夫社長が、日本食、日本酒を取り扱うJFCインターナショナルの山本義博副社長を交え20年の足跡を振り返った。

――20年前のクラモトUS立ち上げ当初のことを教えてください。

岡空 当時、「海外で地酒を売るなんて」と思っていました。海外を視野に入れるようになったきっかけは、日本の大手自動車会社に企業訪問したときに、「日本の企業は商品を海外に売っていかないと20年、30年先に生き残れないぞ」と言われて、「ああ、そうか」と思わされたことですね。

 以来、次の世代に地酒造りをバトンタッチしていくためには、輸出は一つの生き残る道だなと考えるようになりました。何しろ無限の可能性があるじゃないですか。それで「じゃあ一緒にやろう」と蔵元たちに声を掛けました。
山縣 当時は全くもって夢みたいな話でしたよ。でも「地酒を世界に届けよう」と言い合い、早速やってみようと、全国の蔵元が集って始めました。

将来見越し取り組み
米国で市場開拓狙う

――当初はどんな苦労がありましたか?

岡空 最初はアメリカとヨーロッパの市場に狙いを定めていました。まずやったのはパリにアンテナショップとして「酒バー禅」を出すこと。

山縣 フランスはやはりワインの消費量が多いので、日本酒を飲んでいただくのは難しかった。一方アメリカでは、日本食がヘルシーだという認識が高まり、人気が出て、日本酒の需要も高まっていたという、われわれにとってはありがたい背景がありました。

岡空 パリ、ロンドン、ドイツと回って、1年かけて試飲会を開きましたが、ほとんど売れなかったですね。そしてニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコといったアメリカの大都市に狙いを定めました。ニューヨークでは最初は日本人駐在員の方、日系商社の方たちに紹介して、次はおすし屋さんと徐々に広がっていきました。

山縣 アメリカで売っていこうと決めても最初は大変でしたよ。今は19社ですが、20年の間、平穏無事に来たわけではないんですね。倒産するところもあったり、出資金が底をついて、一旦解散したり。何度も危機はありました。

岡空 今はようやく利益が出るようになりましたが、最初は当然ながら、すぐには売れないのは分かっていましたし、将来を見越して取り組むわけです。とは言っても、こちらの市場に売り込むには、当地に営業の人間を置く必要もあり、もちろんボランティアというわけにもいきません。一時は運営が苦しくなって、アメリカにわれわれが作った会社が、日本のわれわれの会社に対する支払いが滞ったりもしました。私自身は苦労すること、うまくいかないのは、当たり前だと思っていましたが、我慢できなくて、「もうやめる」というところもありました。

山縣 最初は「日本産清酒輸出機構」というグループで始めて、運営は第三者に任せていました。ですが、われわれが作ったものはわれわれが一番よく知っているわけですから、自らの手で責任を持ってJFCさんに届ける必要があるのではないかと考え、8年前に共同組合形式の株式会社「クラモトUS」として再構成しました。第三者に任せてしまうよりも、株式会社として社長が責任を持ってやると。

 どんな業界でも輸出を始める際は、海外に行って、簡単に売って、売れたということはないと思います。

――アメリカでの輸出に際して、どんな戦略を立てましたか?

山縣 調べたところ、当時、すでに当地で造られ、販売されている日本酒はありましたが、ほとんどが熱燗(かん)で飲まれていました。そこで冷酒を打ち出していこうと考えました。

岡空 要するにお酒は熱燗だけじゃないんだよと。日本酒にはいろいろな種類があって、匂いも味も違うということを少しずつアメリカの市場で浸透させていく作戦を立てたわけです。

山縣 また、日本酒はすでにあって飲まれているわけですから、違いをはっきりさせる必要もありました。そうでないと、地酒は値段も高いので、売れるはずがないと考えました。

岡空 おいしいお酒を冷酒で飲んでいただくためには、品質を保つために冷蔵輸送、冷蔵貯蔵、冷蔵販売が絶対に必要でした。日本からの輸送は、それまでの常温を冷蔵に切り替えることで対応できますが、それができるのは港までで、陸上輸送にも冷蔵が必要で、そこでJFCさんに無理を聞いていただいて、冷蔵トラックで輸送をしていただきました。

山本 トラックに冷蔵設備は付いていましたし、われわれは問屋なので、ニーズに応えて、望まれる状態で届けるのが仕事ですから、特別なことはしていませんよ。

山縣 でも20年前、JFCさんのブルックリンの冷蔵庫にわれわれのお酒だけを入れていただいた時は恐縮しました。われわれのお酒が、どうこうなる以前に、日本の地酒がここまで飲まれるようになったのは、そこが始まりだと思っています。

地酒造りも20年で変化
地元産原料へこだわり

――地酒造りにおいては、20年間でどんな変化がありましたか?

岡空 地酒は基本的には、各地方産の米、水を使うので、それぞれの特色が出るというのが基本です。いまの地酒ブームは、そうした特徴を持ったいろんな味のお酒があったことが土台にあります。

 鳥取県の私の会社で作る日本酒は、98%の米が鳥取県産で、残り2%が日本酒造りで基本となる兵庫県の山田錦を使っています。鳥取県では地元生産者と契約して山田錦、強力、五百万石を生産しています。なぜ地元のお米がいいかというと、生産者の顔を見ながら情報の交換ができ、米の栽培方法の要望をじかに伝えられるし、発育状況などもすぐに確認できるからです。

山縣 そうですね、やはり地酒は地元の原材料を使うべきだと思っています。ここ15年か20年ほどの話でも、山口県特有の酒米、西都の雫を使って日本酒を作るという流れが定着してきました。

岡空 使う水が、軟水か硬水かでも味に違いが出て、それも、それぞれの地酒が特色を持つ要素になりますね。

山縣 ここ20年で言えば、技術の進歩も大きいですね。昔は栄養分が多く、発酵力が強い硬水で、アルコールをいかに作るかということが重要でした。今は、発酵の技術が進歩したことで、細かい温度管理ができるようになり、軟水を使ってゆっくりと発酵させることが、簡単になりました。山廃(やまはい)仕込み、生酛(きもと)仕込みといったものも安心して作れるようになり、いろいろな種類の地酒を提供できるようになりました。

海外輸出増加で競争激化
市場拡大で新たな戦略も

――20年の時を経て、米国の市場も変化し、戦略も変わってきたと思います。

山縣 20年前にはなかった地酒が、今や冷酒で飲まれ、確かな冷酒の市場が出来上がり、アメリカの方たちも地酒を求めています。同時に、日本には日本酒メーカーが1500社ほどありますが、日本でのアルコール消費量が減っていることもあって、その半数が今や輸出をしていますから、海外での競争はより激しくなっています。

 だから、ただおいしいお酒であればいい、地酒であればいいというのではなく、こういう人に飲んでいただきたい、こういう料理と一緒に味わってほしいというように、コンセプトが明確でないと売れないという気がします。

岡空 当初からいろいろな種類のお酒ということで、香りのある純米大吟醸、コクのある純米酒、熟成タイプの貯蔵酒や山廃仕込みのものなど、違いを紹介しながら販売してきました。今は、さらに進んで、違うお酒である焼酎、またカップ酒などのように容器を変えて飲む形も提案していますね。

山縣 また、日本酒は日本食に合うのは当然として、ワイン以上に食べ物との相性の幅が広いことがいいところだと思うんです。ですからアメリカの食事と合うものを提供していきたいですね。

山本 今も日本食の人気はまだ伸びています。これまで、日本食が伸び、日本酒も伸びるという状況が続いてきましたが、これからさらに伸びていくには、アメリカンにしろイタリアンにしろ、いろいろな料理と一緒に日本酒を飲んでいただくことが一つのキーワードになりますね。

――今や世界中で日本酒の需要は高まっていると思いますが、今後の目標は?

岡空 アメリカではニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコといった大都市が中心ですが、これからもっと全米に広がると考えています。先日、デンバーに行きましたが、600席もあるすし店が新たにできたり、マイアミ、アトランタ、テキサスなどもこれからもっと広がると考えています。

山縣 世界中に日本食は広がっていて、そこではやはり日本酒が飲まれます。アメリカの市場で20年やってきましたが、アメリカでの、この市場形成の流れは、世界にも広がっていくと思うんですよ。

 日本の国酒である日本酒が世界で飲まれているということは、日本自体を認識していただけているということだと思っていますから、これからも頑張って、地酒を世界に届け続けたいです。

左から山縣本店の山縣俊郎社長、千代むすび酒造株式会社の岡空晴夫社長、JFCインターナショナルの山本義博副社長

「次の世代に地酒造りをバトンタッチしていくためには、輸出は一つの生き残る道だなと考えるようになりました」と語る千代むすび酒造株式会社の岡空社長

「どんな業界でも輸出を始める際は、海外に行って、簡単に売って、売れたということはないです」と語る山縣本店の山縣社長

20年前に全てが始まった

1996年3月に行ったロンドンの日本食レストランでの試飲会の様子。参加者はわずかだった

ロンドンの後はニューヨークへ。写真は酒バー、デシベルでの試飲会。ここでも参加者はわずかだった。しかし日本クラブでは参加者は数十人、さらにキタノホテルのバーカウンターでは商品を扱ってくれることに

ロサンゼルスでも数多くの試飲会を実施。写真は日本食レストランでの試飲会。ようやく手応えをつかみ始めた

米国で流通させる全商品を最初に置いてくれたのはキタノホテルのバーカウンターだった

当時のJFCニューヨーク支店。山縣社長、岡空社長は「JFCさんの尽力がなければ今のニューヨークでの日本酒ブームはない」と言い切る


KURAMOTO US
TEL: 718-349-7179
info@kuramotous.com
www.kuramotous.com

SAKE MAP

1 岩手県
株式会社あさ開
岩手県盛岡市大慈寺町10-34
代表者 村井 良隆
創業 : 1871年
杜氏流派 : 南部杜氏
仕込水 : やや軟水
2 山形県
鯉川酒造株式会社
山形県東田川郡余目町大字余目字興野42
代表者 佐藤 一良
創業 : 1725年
杜氏流派 : 自社杜氏
仕込水 : 軟水
3 福島県
末廣酒造株式会社 
福島県会津若松市日新町12-38
代表者 新城 猪之吉
創業 : 1850年
杜氏流派 : 会津杜氏
仕込水 : 中硬水
4 新潟県
塩川酒造株式会社
新潟県新潟市西区内野町662
代表者 塩川 武司
創業 : 1912年
杜氏流派 : 越後杜氏
仕込水 : 中硬水
5 茨城県
愛友酒造株式会社
茨城県潮来市辻205
代表者 兼平 紀子
創業 : 1804年
杜氏流派 : 南部杜氏
仕込水 : 中軟水
6 山梨県
笹一酒造株式会社
山梨県大月市笹子町吉久保26
代表者 天野 行典
創業 : 1919年
杜氏流派 : 自社杜氏
仕込水 : 軟水
7 福井県
有限会社南部酒造場
福井県大野市元町6-10
代表者 南部 隆保
創業 : 1733年
杜氏流派 : 能登杜氏
仕込水 : 軟水
8 岐阜県
奥飛騨酒造株式会社
岐阜県下呂市金山町金山1984
代表者 鈴木 好彦
創業:1720年
杜氏流派 : 南部杜氏
仕込水 : 軟水
9 滋賀県
川島酒造株式会社
滋賀県高島市新旭町旭83
代表者 川島 達郎
創業 : 1865年
杜氏流派 : 能登杜氏
仕込水 : 軟水
10 京都府
株式会社山本本家
京都府京都市伏見区上油掛町36-1
代表者 山本 源兵衛
創業 : 1677年
杜氏流派 : 越前杜氏
仕込水 : 中硬水
11 和歌山県
株式会社名手酒造店
和歌山県海南市黒江846
代表者 名手 孝和
創業 : 1866年
杜氏流派 : 能登杜氏
仕込水 : 弱硬水
12 兵庫県
株式会社神戸酒心館
兵庫県神戸市東灘区御影塚町1-8-17
代表者 安福 武之助
創業 : 1751年
杜氏流派 : 但馬杜氏
仕込水 : 硬水
13 岡山県
白菊酒造株式会社
岡山県高粱市成羽町下日名163-1
代表者 渡辺 秀造
創業 : 1886年
杜氏流派 : 備中杜氏
仕込水 : 中硬水
14 鳥取県
千代むすび酒造株式会社
鳥取県境港市大正町131
代表者 岡空 晴夫
創業 : 1865年
杜氏流派 : 出雲杜氏
仕込水 : やや軟水
15 山口県
株式会社山縣本店
山口県周南市久米2933
代表者 山縣 俊郎
創業 : 1875年
杜氏流派 : 熊毛杜氏
仕込水 : 軟水
16 山口県
株式会社はつもみぢ
山口県周南市飯島町1-40
代表者 原田 康宏
創業 : 1819年
杜氏流派 : 大津杜氏
仕込水 : 中軟水
17 愛媛県
成龍酒造株式会社
愛媛県西条市周布1301-1
代表者 首藤 洋
創業 : 1877年
杜氏流派 : 伊方杜氏
仕込水 : 弱軟水
18 佐賀県
天山酒造株式会社
佐賀県小城市小城町岩蔵1520
代表者 七田 謙介
創業 : 1861年
杜氏流派 : 自社杜氏
仕込水 : 硬水
19 宮崎県
井上酒造株式会社
宮崎県日南市南郷町榎原甲1326
代表者 寺田 徳男
創業 : 1894年
杜氏流派 : 自社杜氏
仕込水 : 硬水

過去の特集

NYジャピオン 1分動画