2018/08/03発行 ジャピオン978号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今週は、車や飛行機など新たな交通文明の開花と、衰退期から取り壊しまでのペンステーションを振り返る。

ペンステーション❺

 アメリカの鉄道文化の最盛期は第2次世界大戦中だ。ペンステーションの利用者数も、終戦年の1945年がピークだった。その後は、鉄道文化そのものが衰退期に入り、ペンステーションもその波に飲まれていく。1910年の駅開設以来、常に右肩上りだった年間収益が、初めて下降線を示したのが1947年。続く10年間は、ペンステーションに限らず全米の鉄道利用者数の激減期となる。

車と飛行機の台頭

 鉄道の最盛期=車と飛行機の黎明期だ。アメリカで自動車製造が始まったのが1890年、ライト兄弟が初めて飛行機を飛ばしたのが1903年。戦後になると急速に高速道路の整備が進み、人々の日常の移動手段が鉄道から自家用車へとシフトしていく。

 悲しいことに、グランドセントラル駅同様、ペンステーションも維持管理が極めてお粗末だった。大理石の壁も埃や油にまみれて変色し、7アベニュー側コンコースは壁という壁が節操なく広告に埋もれ、8アベニュー側は店舗でぎゅうぎゅう詰め。せっかくのボザール建築も台無しだった(歴史書「Conquering Gotham, Building Penn Station and Its Tunnels」)。

 ペンステーションは1958年に改装を試みているが、汚れた大理石の柱をプラスチック素材で覆うなど、〝臭い物にふた〟的な安っぽいもので、当時の建築評論家から徹底的に悪評を食らった。

そして駅舎取り壊しへ

 駅舎の管理もままならず、利用客も減る一方。ペンシルベニア鉄道(PRR)が苦肉の策で1954年、不動産開発業者ウィリアム・ゼッケンドルフに、ペンステーションの空中権使用を許可したのが、駅舎取り壊しへの第1歩だった。1962年には、空中権を買収したグラハム・ペイジ社によって、ペンステーションの取り壊しと、マディソンスクエアガーデン(MSG)の建設が発表になった。

 グラハム・ペイジといえば、元は自動車製造会社。1952年不動産業に転向したとはいえ、一世を風靡した鉄道の駅舎が、元自動車製造会社によって取り壊されるとは皮肉な話だ。これもまた時代の流れか。

 PRRはしかしグラハム・ペイジに対し、空中権売却条件をちゃっかり提示している。地下にある駅インフラをPRRが無料使用することと、MSGの株25%。これによって、取り壊されるのは地上の駅舎のみで、もともと地下にあった駅機能はPRRが全て維持することになった。

 もちろん世論は二分した。過去の遺物として維持するか、壊して新時代を築くか。1963年駅の取り壊しが始まるまで、全米で「Don’t Amputate–Renovate」の合言葉で反対運動が展開された。 (佐々木香奈)

1962年グラハム・ペイジ社がペンステーションの空中権を買収。翌年駅の地上部分を取り壊しにかかった
ボザール建築の荘厳な旧ペンステーションが壊され、その後に建ったのがマディソンスクエアガーデン
地下にある鉄道施設はそのまま残された。写真は、ペンステーション内トラック20に下りる階段の手すり

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