2018/07/27発行 ジャピオン977号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今週は、「NYトンネル延長計画」と、旧ペンステーション駅舎完成から、全盛期の時代を振り返る。

ペンステーション❹

 ペンシルベニア鉄道(PRR)社長アレクサンダー・ジョンストン・カサットが1901年に提案した「NYトンネル延長計画」は、翌年市から認可、その翌年工事が開始された。ハドソン川のトンネルは1906年、イーストリバーのトンネルは1908年に完成。その間駅舎の建設も進められ、旧ペンステーション完成は1910年8月と記録されている。

計画提案から10年で完成

 当時と現在を単純に比べることには無理があるが、計画提案から認可まで2年、二つのトンネル工事開始から完成まで3〜5年、駅舎を含め全工程が終了するまで8年。しかもこの規模。今ではありえない早さだ。

 メトロポリタン交通局(MTA)によるロングアイランド鉄道(LIRR)のグランドセントラル駅乗り入れ事業を考えてみてほしい。1999年から話が持ち上がり、2007年にやっと工事が始まり、トンネルは完成しているものの、駅への乗り入れは延期につぐ延期。現在の完成予測時期は2023年。これだって怪しいものだ。

 100年以上前の方が現代よりも工事が早いのはなぜだろう?今だからこその問題もあろうが、何よりアメリカの労働組合のせいだろう。旧ペンステーション建設当時も労働組合は存在したが、今ほど強大な勢力は持っていなかった。今ある鉄道インフラは、当時の人々の過酷な労働あってのものだと言えまいか。

鉄道全盛期時代へ…

 旧ペンステーションが正式にオープンしたのは1910年11月27日。提案者の7代目社長カサットはすでに亡くなり、8代目のジェームズ・マクリーが社長に就任していた。

 グランドセントラル駅同様、旧ペンステーションも遠い将来を見据え、当面のニーズ以上の規模で建設された。今とは時代が違うとはいえ、市内の至近距離に巨大駅を二つも「過剰建築」してしまうところに、当時の鉄道産業の勢いが感じられる。

 現実には、巨大な駅に見合った利用者数がいたわけではなく、年間900万人にも満たなかった。当然、駅建設反対派からは非難轟々。しかし、すぐに反対派は納得せざるを得なくなる。1919年には利用者数が年間3500万人まで膨れ上がり、1939年には年間6600万人に達している。

 まさに鉄道産業の全盛期。そして、駅建設の副作用として、ニューヨーク市内の人口の郊外への流出があった。結果、駅開設当初は長距離列車が主流だったのが、10年後には利用者の3分の2が通勤客になった。

 第二次世界大戦中は、ペンステーションの最盛期。1945年、年間利用者数は最高1億人を記録した。(佐々木香奈)

ハドソン、イーストリバーの2トンネルと、それをつなぐ工事は開始から5年で完成。今では考えられない早さ
LIRRのプラットフォームに降りる階段は、1910年オープンの旧ペンステーションからのもの
現在のペンステーション(地下)の地図。何度も改装されているが、レイアウトは1910年駅開設時とほぼ同じ

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