2018/07/20発行 ジャピオン976号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今週は、旧駅舎建設時の反対派勢力と、それと闘った二人のペンシルベニア鉄道社長について見てみよう。

ペンステーション❸

 ペンシルベニア鉄道(PRR)社長アレクサンダー・ジョンストン・カサットが1901年、ニューヨーク市に提案した「NYトンネル延長計画(NY Tunnel Extension Project)」。これが、今われわれが享受する市内周辺の鉄道インフラ原案だ。

反対派からの圧力

 当時のニューヨーク市は、タマニー派という民主党系政治団体が牛耳っており、絵に描いたような腐敗政治が横行していたと、歴史書「Conquering Gotham: Building Penn Station and Its Tunnels」に記されている。このタマニー派と、その息がかかった悪徳投資家らが、カサットの計画をつぶしに掛かった。便乗する形になったのが、今の地下鉄の前身インターボロ・ラピッド・トランジット(IRT)だ。発展途上だったIRTは、カサットの計画が認可されると自社に不利になると考えた。記録には目立って記されていないが、付近住民の反対も当然あっただろう。

 事実、ニューヨーク市議会は一度カサットの提案を却下している。しかし時代の流れが、カサットの鉄道近代化への願いを後押ししたと言っていいかもしれない。新たな鉄道建設をよしとしない市議会が無理難題を押し付けるも、辛抱強く対応したカサットに、1902年12月やっと認可が降りる。

立役者は二人の社長

 カサットは第7代社長。1839年ペンシルベニア州ピッツバーグに生まれた。61年エンジニアとしてPRRに入社するも、一度は退社している。新たにニューヨーク・ペンシルベニア&ノーフォーク鉄道を組織したが、PRRから社長として呼び戻されたのが1899年だ。

 このペンステーションの生みの親はしかし、1910年の駅舎完成を見ることなく、1906年フィラデルフィアで亡くなっている。PRRは、カサットの功績をたたえ、駅完成時にカサットの銅像を作り、構内に設置した。記念碑には「カサットの勇気と才能が、鉄道をニューヨーク市までつなげた」と刻まれている。

 この銅像は現在ニューヨークのペンステーションにはなく、ペンシルベニア州ストラスバーグの鉄道博物館に展示されている。

 もう一人の功労者であり、ペンステーションに今も銅像が置かれているのは、第9代社長サミュエル・リーだ。PRRのエンジニアとして、ペンシルベニア州からマンハッタンへの鉄道建設事業を支え、社長就任は1913年。駅完成直後、利用者がまだ少なかったペンステーションを、反対派が「無駄なものを建てた」と非難した際、必死で駅を擁護し、その必要性を訴えた社長だ。その後の利用者の急増が、リーの主張を裏付けることになった。 (佐々木香奈)

PRR「NYトンネル延長計画」で提案されたルート。点線はもともと提案され実現しなかった橋の位置
32ストリートと7アベニューの、ペンステーション入り口の上、チェイス銀行の前にあるサミュエル・リーの銅像
サミュエル・リーの銅像の横にある記念碑。ペンステーション建設時は副社長としてカサットを支えた

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