2018/07/13発行 ジャピオン975号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今週は、20世紀初頭の旧ペンステーション駅舎建設と、二つのトンネル建設の背景について、簡単に振り返る。

ペンステーション❷

 アメリカでは1830年から蒸気機関車が走り始め、1895年には鉄道電化技術が実用化された。ニューヨーク州政府が、マンハッタン内で蒸気機関車の運行を禁止し、全面的に電化を義務付けたのが1908年だ。旧ペンステーションの建設は、鉄道文化の近代化とともに始まった。
 19世紀の末、大陸を走る線路はハドソン川に突き当たるニュージャージー州で途切れていたため、そこからマンハッタンへの交通手段はフェリーだった。折しも、フランスのパリでオルセー駅が完成。鉄道の完全電化と近代化のシンボルとして注目されていた。ペンシルベニア鉄道(PRR)社長のアレクサンダー・ジョンソン・カサットは、同様の鉄道インフラと駅舎をニューヨーク市で実現させたいと、1901年、列車専用トンネルと新駅舎建設を市に提案した。

生みの親、カサット

 大規模な建築物や都市計画には、必ずと言っていいほど「生みの親」的な人物が存在するが、ペンステーションはカサットをおいて他にいない。
 その計画は、ハドソン川とイーストリバーの両方にトンネルを掘り、マンハッタンを中心にニュージャージー州とロングアイランドを鉄道で一直線に結ぶことだった。その実現のため、このときPRRはロングアイランド鉄道(LIRR)の過半数株を買収している。
 市内のライバル鉄道会社から猛反対を受けたが、1902年市が建設許可を出し、トンネル工事と、今の31〜33ストリート、7〜8アベニューという広い敷地での駅舎建設が始まった。
 ところで、何を考えたかカサットはペンステーション建設に当たり、連邦中央郵便局に対し、「駅の隣のブロックに郵便局を建設してほしい」と申し出ている。1903年に連邦政府がこれを承諾。建てられたのが、8〜9アベニューと31〜33ストリートを占める中央郵便局「ジェームズ・ファーレー・ビルディング」だ。

郵便局は姉妹建築物

 旧ペンステーションの駅舎も、この郵便局も、パリのオルセー駅に倣ってデザインはボザール様式が採用された。古代ローマ風の柱が特徴で、市内に残る同様の建築物としては、コロンビア大学のロウ記念図書館などがある。
 肝心の駅舎自体は1963年に取り壊されるものの、姉妹建築物である郵便局ビルは今も健在だ。21世紀に入った今、ビルの一部がペンステーション拡大計画に取り込まれている。
 老朽化した地下の鉄道システムが、近年大きな問題になっていることはご存じの通り。ペンステーションが起死回生を図るなら今。この姉妹建築物は、そのための唯一の希望の光と言っていい。 (佐々木香奈)

赤線が旧ペンステーションの駅舎があったエリア。黄線が中央郵便局ビル
中央郵便局は、旧ペンステーションの姉妹建築物。2010年から駅拡大計画に取り込まれている
LIRR窓口エリア。駅の地下構造は、ほとんどが1910年からのオリジナルのまま残っている

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