2018/06/15発行 ジャピオン971号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。1917年の鉄道開通に続き、36年に高速道路がランドールズ島を縦貫。インフラ革命の指導者は「あの男」だ。

ランドールズ島便り❼

 その男の名は、ロバート・モーゼス(1888〜1981)。5番街の高級アパートで育った生粋のエリートで、エール大学で学士、英オックスフォード大学で修士、コロンビア大学で博士号(政治学)を取得したのち、ニューヨーク市政の変革を目指す。汚職や縁故採用を徹底的に廃したモーゼスは、公園局局長をはじめニューヨーク市・州の行政12部門の長を務め、荒廃したスラム地区を一掃。市内に300以上の公園を新設し、市周辺に橋やトンネルを開通させた。セントラル・パーク動物園やリンカーンセンターなど文化施設も作っている。

三つのボロを島でつなぐ

 本コラムでもモーゼスは、2017年6月のソーホー編他、度々登場している。役どころは、必ず「権力者」「庶民の敵」「人種差別主義者」などとネガティブ。だが、好き嫌いは別として彼が残した功績は計り知れない。その一つが、ランドールズ島に通した巨大橋梁「トライボロ橋(現呼称はロバート・F・ケネディ橋)」である。

 マンハッタン、ブロンクス、クイーンズの「3ボロ(区)」をつなぐこの橋の計画立案は1916年にさかのぼる。しかし、長い間予算が付かず、29年になってようやく工事が始まった。設計はスイス人橋梁デザイナーのオスマー・アンマン。ところが着工当日にくしくも世界大恐慌が発生。未曽有の不景気で工事は32年に頓挫。瀕死の大計画を蘇生させたのがモーゼスだった。

今も残るモーゼスの本丸

 持ち前の政治力を駆使してモーゼスは、ニューディール政策による公共事業予算4420万ドルをいち早く獲得。市内のみならず他州にまで多大な雇用機会を創生した。かくして大工事は33年11月に急ピッチで再開する。34年に何度もランドールズ島を航空調査したモーゼスは、既に各ボロで開通している高速道(その多くは自らが手掛けた)が島の上でつながれば、ここが道路交通の要所になることを確信した。そして、都市改造計画の総司令部をランドールズ島の北端、トライボロ橋の袂に置く。

 吊り橋、昇開橋、トラス橋など種類の異なる3本の橋梁を含み、アプローチも入れると全長25キロに及ぶ「トライボロ橋」は36年7月に竣工。トップダウンの強引な建設だったため、周辺の住宅は立ち退きをしいられ、島内の病院や福祉施設も閉鎖された。またランドールズとワーズの2島の間の水路が橋の建設で埋め立てられ、島は一つになった。だが、モーゼスの夢は橋だけで終わらない。エール大学水泳部の選手で根っからのスポーツマンの彼は、ランドールズ島の広大な空き地を利用して、市民のためのスポーツ公園を作ろうと計画していた。

 次週に続く。 (中村英雄)

「トライボロ橋」の一部イーストリバー吊り橋。1936年完成。高さ44メートル。全長850メートル。上下8車線
ロバート・モーゼスの総司令部があった建物。現在は、MTAの持ち物で橋の管理事務所が入っている

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