2018/06/08発行 ジャピオン970号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。隔離された島のイメージが強いランドールズ島には、ニューヨークの交通インフラの要路という側面もある。

ランドールズ島便り❻

 ランドールズ島に渡ると嫌でも目に入るのが長い鉄道橋である。列車の往来がさほど頻繁でないため「廃線では?」と疑いたくなるが、ニューヨークとボストン他の北東部都市を結ぶアムトラック専用の現役線路である。南はクイーンズのアストリアからイーストリバーを渡って、北はブロンクスに抜ける全長約5キロの高架線は三つの橋梁を含む。設計者はグスタフ・リンデンタール。橋が開通した1917年前後まで時計を巻き戻してみよう。

鉄道大動脈をつなぐ橋

 20世紀初頭、アメリカの社会経済の根幹を支えていたのは鉄道だった。米国北東部には網の目のごとく鉄道路線が敷かれ、日夜その上を「人・モノ・金」が流れていた。ただし、唯一、ニューヨーク市に直接入る路線がなかったのが、長年の悩みでもあった。ところが、電気機関車の開発とトンネル技術の進歩で、1908年にニュージャージーとマンハッタンの間に地下線路が開通。それまでは船でマンハッタンへ渡っていたのが格段に便利になる。同年、マンハッタン︱クイーンズ間にもトンネルが開通すると、ボストン方面の幹線とつなげる「ニューヨーク接続鉄道」の計画がにわかに具体化する。ランドールズ島を経由する長大な高架線の建設は12年に始まった。
 設計を担当したリンデンタールは1850年、オーストリア=ハンガリー帝国に生まれた。数学や工学から冶金、流体工学まで全て独学で習得した天才なるも、学歴重視の母国では浮かばれず74年に来米。フリーの現場技師から始めて、ペンシルベニア州を中心に数多くの鉄道橋設計に携わった後に、ニューヨークに移り、ハドソン川橋梁のプロジェクトを立ち上げたが、結局、トンネル案に負ける。しかし、鉄道会社からは絶大な評価を受け、1904年に「ニューヨーク接続鉄道」の高架線設計を任命される。その頃には、橋設計の大御所となっていたリンデンタールは、クイーンズボロ橋(09年開通)の建設責任者も務めている。

千年残る20世紀の遺産

 5キロに及ぶ高架線の中で圧巻は、潮流渦巻くイーストリバーの難所に架かる「ヘルゲート橋」。全長310メートルのアーチ橋で1917年開通当時は、世界一長くて重い鋼鉄製の橋だった。約23センチの長いリベットを使用しているため強度は抜群で、耐用年数は1000年といわれている。ちなみにニューヨークの他の橋は約300年で崩落するらしい。コンクリート製の橋桁は頑強さもさることながら、デザインが美しく、高架線の下はまるで古代文明の遺跡のような荘厳な雰囲気を醸し出している。とっておきの夏のデートコースとして胸の奥にメモしておくといい。(中村英雄)

アストリアとランドールズ島を結ぶ「ヘルゲート橋」。豪シドニーの「ハーバーブリッジ」のモデルにもなっている
高架線を力走するアムトラック「アセラ号」。車窓から眺めるマンハッタンのビル群も感動モノだ
高架線下の遊歩道。橋桁の配列が美しくランドールズ島内随一のインスタ・スポットだ

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