2018/06/01発行 ジャピオン969号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。ランドールズ島には精神障害者のための治療施設がある。今週は、普段触れることの少ない世界に足を踏み入れる。

ランドールズ島便り❺

「ちょっと病棟に行ってみましょうか」。マンハッタン精神科センター専属で唯一の日本人精神科医、大山栄作先生の案内で最重度の精神科患者を抱える入院病棟を見学した。

治療の現場は戦場

1957〜59年にかけて次々に開院した三つの病棟は、アメリカの病院にありふれた内装で、清潔感と無愛想な空気だけが長い廊下に充満している。病棟を仕切る強化ガラスの扉は鍵付きで医師やスタッフ以外は開けられない。廊下が交錯する場所にあるナースステーションに看護師の姿はない。「スタッフ不足で困っています。新規採用しても仕事がきつくて長続きしません」と大山先生。
管轄当局であるニューヨーク州は経費削減に躍起で、現在230人を数える入院患者を極力退院させる傾向にあるそうだ。
「退院と言っても決して完治しているわけではありません。また、日本と違って、退院の許可決定をするのは医師ではなく裁判所なので、法的な許可が出ない限り退院はできない決まりになっています」
病棟の食堂で出会った患者さんたちは皆、温厚で紳士的にあいさつしてくれた。だが、それは彼らの日常の一面に過ぎない。「今朝は大柄の男性患者が大暴れして、取り押さえるのに一苦労でした」。こうしたことは日常茶飯。スタッフ数名で取り囲んで「隔離室」に移送し、抗精神病薬の注射で落ち着かせた、という。「どんな薬も効かない患者にはクロザピンという薬が効果的なのでよく使います」と大山先生。日本では特定少数の病院でしか許可されていない強い薬だそうだ。治療の現場は理想主義だけでは通用しない。精神科病院と社会の共存は、日米問わず大きな問題だ。

患者と共存できない社会

90年代には、精神科センターの入院患者や脱走者が、ワーズ島橋(本シリーズ第1回参照)を渡ってマンハッタンの集合住宅周辺に出没。住民に危害や恐怖心を与えた事件が頻発した。そのため同橋は1994年12月19日、中央部を開口し、一時通行止めとなった。島で起きる犯罪は全て病院の患者のせいにされた。
その後、市内全般の治安が良くなるにつれ、ランドールズ島と精神科センターの隔離も整備され、今では住民と患者の接触は減ったと大山先生は言う。
「社会が患者を受け入れるという考え方は、現在ではほとんど支持されなくなりました。かつては、退院後の患者さんを看護師たちが自宅に呼んだりしていましたが、今は薬による治療が優先。残念ながら、心の触れ合いはもうないですね」
それでも人間的な治療に一縷(いちる)の希望をつなぐ大山先生は、今日も笑顔で精神障害患者と接している。(中村英雄)

マンハッタン精神科センターの病室。患者各人に個室が与えられている。30年以上の入院患者もいる
院内では常に笑顔を絶やさない大山医師。重度の暴力行為を行った際に使用される隔離室にて
1994年末に一時、通行止めとなったワーズ島橋。近隣住民が同センターに向ける眼差しは暖かくはない

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